「大師は弘法、太閤は秀吉、黄門は水戸」
大師、太閤、黄門は、肩書きなのに、個人名のようになってしまっている。
「お大師さん」というと、弘法大師だ。
ということは、「大師第一号」は弘法大師だと思うのは、素人の浅はかさ。
佐伯有清『円仁』を読む。
天台座主慈覚大師円仁が、大師第一号だ。
「大師」は、「大先生」という意味だ。
高僧が亡くなってから、朝廷が与える称号である。
臨済宗の栄西は、生きている間に、「大師号、ちょうだい」とおねだりして、「死ね!」と突っぱねられた。
「死ね!」と言われたかどうかは知らんが、私なら言います。
円仁に遅れること五十年、真言宗が運動して、空海にも「弘法大師」とおくってもらったそうだ。
最澄のあとで唐から帰国した空海は、最澄よりいいものをたくさん持って帰った。
なにかはわからんが、先進国唐で最新流行のものだ。
今みたいに、「うん?真言密教?ネットで検索!」というわけにはいかん。
持って帰った者が勝ちである。
空海、おおいばり。
今に見ておれ!と唐に渡ったのが円仁である。
唐に渡って苦節十年、持って帰ってまいりました!
長安で最新流行の熾盛光法!
それはなんだと聞くだけヤボ。
聞いても誰にもわからない。
と思います。
円仁、おおいばり。
円仁がなくなったとき、清和天皇が大変に悲しんで、日本で初めての大師号をおくった。
よほどえらかったのだ!と感激するのは素人の浅はかさ。
清和天皇は、当時の実力者、藤原良房の孫である。
良房は、この孫を天皇にするために、三人の年上の皇子を飛び越して皇太子にするなど、むちゃくちゃをした。
当然、うらまれる。
で、心配になる。
で、偉いお坊さん円仁に、「ウチの孫をよろしく」とお願いする。
このころのお坊さんは、えらい人に頼まれたら、何でも引き受けたようだ。
主義主張正邪善悪白黒関係なし。
殺し屋「ゴルゴ13」みたいなものですな。
円仁の祈祷のおかげで、無事天皇になれた。
大師号の一つや二つ、お安い御用である。
それはよかったのだが、天台宗からクレームが来た。
円仁がもらって、お師匠さんの最澄がなしというのはちょっとどうもアレなんで、そこんとこ、ひとつよろしく。
ほんじゃまあ、お師匠さん、「伝教大師」でどう?ということで師弟同時受賞!
ええかげんやな〜。