昨日、ふと思った。
最近Tさんを見ない。
県会議員選挙がすんで一ヶ月。
直後に、駅前でお礼のあいさつをして、支持者をハグするのを目撃して以来、Tさんの姿を見ないことに気づいた。
これはいったい?
過去九年間、毎週一度、この駅だけでなく最寄の各駅の駅頭で、通算二千回にわたって朝のあいさつを続けてきたTさんだ。
どうしたのだろうか。
すぐ思いつくのは、「慢心」である。
Tさんは、今回の選挙で堂々二位で当選。
一位は、県政界の大物の息子で、引退する父の後を受け、いわゆる「地盤、看板、カバン」の「三バン」をひき継いでの初陣であるから、実質一位はTさんといってもいいかもしれない。
その好成績に気を良くして、初心を忘れたのであろうか。
しかし、Tさんはそんな人ではない。
慢心するタイプとは思えない。
「わたくし、地元○○町×丁目に住まわさせていただいております」などと、住民税滞納者かと疑わせるような、謙譲謙遜を通り越して自虐的とも言えるほどのもの言いをする人なのである。
激しい選挙戦で、体調を崩したのか。
あるいは、謙譲謙遜気配り根回しの人Tさんが、新議会の発足に当たって、議会事務局県庁各部署をはじめ、各政党各会派、引継ぎ申し送り顔出し顔合わせに忙しく、気にしながらも駅頭のあいさつにまで手が回らないのであろうか。
一ヶ月ほど忘れていたTさんであるが、気にしだすと夜も眠れないのであった。
さて、今朝、バスが駅につくと、おお!聞きなれたあの声が!
Tさんだ!
「早朝よりご出勤の皆様方に対しまして、心からの敬意を表するものでございます」
「Tさん節」健在。
相変わらずの名調子だ。
うれしくなって、Tさんの方を見て、思わずにっこりしてしまった。
Tさんは、私の笑顔を見逃さなかった。
大きくうなずきながら、私の何倍もの笑顔を返してきた。
私の顔が票に見えたのか。
いや、Tさんはそんな人じゃない。
満面に笑みを浮かべたTさんは、足早に私に近づくと、大きく両手を広げた。
お!ハグするつもりだ!
あぶない!
私はひらりと身をかわすと、Tさんの手を逃れ改札口へと急いだのであった。