ようこそ、王朝女流文学の世界へ。
御案内役の、若草鹿之助です。
パイプを手に、アスコットタイ、ツイードのブレザーをシックに着こなした私が、魅惑のベルベットボイスであなたにこう語りかけるところを想像してください。
気持ち悪い?
失礼しました。
『讃岐典侍日記』(さぬきのすけにっき)
「讃岐典侍」という女性が書いた日記である。
本名、藤原長子。
父が讃岐の国守であったことからこう呼ばれる。
「典侍」は、役職名で、「内侍司(ないしのつかさ)」という役所のナンバーツー。
トップは「尚侍」で、「ないしのかみ」。
「内侍司」は、今風に言えば、「宮内庁秘書局」みたいなものか。
今風でないのは、彼女たちは、天皇の秘書役兼、天皇の子を産む役目でもあった。
才色兼備でないとつとまりませんよ。
古い時代のことを理解するのは難しい。
とりあえず、現代に当てはめて考えてみるのも理解の一助にはなる。
『讃岐典侍日記』を今風に言うと、『藤原部長の日記』ということになる。
色気がない。
色気はないが、当時の人は『讃岐典侍日記』と聞いて、「王朝の文学!」と思ったわけではない。
「讃岐典侍」だと、十二単で、百人一首の絵札の女性みたいだが、「藤原部長」だと、スーツ姿の霞ヶ関のキャリアウーマンだ。
スーツ姿の霞ヶ関のキャリアウーマンで、天皇家のあと継ぎを産もうというのだから、讃岐典侍と雅子さんの姿を重ねてもいいかもしれない。
重ねない方がいいかもしれない。
「讃岐典侍」だと、優雅で気楽そうだが、「藤原部長」だと競争も激しく、激務という感じがする。
当時は、あと継ぎ問題で悩まなくていいように、万全の態勢をとっていた。
女御更衣などの女性があまたさぶらっていたのだ。
競争が激しい。
女性たちの身分の差も歴然としている。
が、家柄がいいからといって油断できない。
いとやんごとなききわにはあらねどすぐれてときめきたまうシンデレラガールが飛び出したりするからだ。
讃岐典侍は、そういう状況を、極めて冷静に理性的に生きた。
外柔内剛、感情をあらわにすることもなく、敵を作ることもなかった。
反面、「何を考えているのかわからない女」とも見られ、周囲の女性たちは、蔭では讃岐典侍のことを「たぬきのすけ」と呼んでいた。
これを言いたかっただけか、と思われてもしかたない。
不徳の致すところだ。