若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

わがままな発注者

中村興二:岸文和編『日本美術を学ぶ人のために』

縄文式土器や埴輪から始まる本ではなかった。
「章」の立て方が面白い。

1.「美術の主題」
絵なら、何を描いてあるか。
仏像、肖像、風景が描かれた背景について説明してある。

3.「美術の生産」
どういう人が作っていたのか。
仏師、絵師、職人など。

第2章、「美術の注文」というのが新鮮である。
なるほど、古来、絵や彫刻などは、誰かが注文して作らせたのだ。
出来合いのものを買うのではない。

東大寺の大仏を注文したのは聖武天皇である。
「発注者天皇」という寺や仏像は多い。
白河天皇は、堂を7、塔を21、等身大以上の仏像を3288、三尺以下の仏像は2930、絵は5470作らせたそうだ。

公家も有力な発注者だ。
藤原道長の次女で三条天皇中宮が、仏縁を結ぶためお経の製作を思い立った。
全三十巻のお経を三十人の女房たちに一巻ずつ割り当てたところ、女房たちは製作を実家に依頼した。
依頼された方は、ウチの娘に恥をかかせてはならぬ!ととんでもない競争になった。
超豪華キンキラキンお経コンクールみたいになって、世の人は、これではかえって罪作りだと嘆いたそうだ。

注文したものが出来上がっても気に入るかどうかはわからない。
清少納言は、「興ざめなこと」として、「これはと思う人に注文した扇の絵がぱっとしない出来だったこと」をあげているそうだ。

一条天皇が、作らせた仏像を見て気に入らず、作り直させた記録がある。
鳥羽上皇仏画を描きなおさせている。

この頃の仏師や絵師は、芸術家ではなく職人だったのだ。

お坊さんも注文する。
禅宗のえらいお坊さんは「頂相」という肖像画を描かせた。
15世紀の「亀泉集証」というお坊さんはうるさい人だ。

1486年11月6日、亀泉集証は出入りの絵師狩野正信に自分の顔を描かせた。
しかし、「写すところはなはだ似ず」と満足せず、十数枚描かせたが、「ついに相似ず」と、正信を帰らせている。

この狩野正信は駆け出しの三流画家ではなく、将軍足利義正やその夫人日野富子の肖像を描いた一流画家ですよ。

このお坊さんは、それから三年後にも正信に何枚も描かせた上、「然るにその似るものなし」と日記に記している。

絵に厳しかったということかもしれないが、禅宗のお坊さんとしてそのこだわりはどうなんでしょうか。
悟っているとは思えませんが。