「お水取り」のことを「修二会」というくらいのことは知っていた。
大きなたいまつを持って走り回ることも知っていた。
「修二会」のことはぼんやりと知っていた。
朝日新聞奈良版を読むようになって「修二会」についていろんなことを知った。
知ったが、すぐ忘れる。
知らなかった方がいいこともある。
修二会に参加する十一人の「練行衆」というお坊さんは、何百人の中から選ばれるエリートだと思っていた。
朝日新聞を読んで驚いた。
東大寺には二十数人しかお坊さんはいないのだ。
エリートどころではない。
毎年、数をそろえるのに四苦八苦なのだ。
知らない方がよかった。
朝日新聞にしては珍しい暴露記事だ。
朝日新聞は奈良の有名な寺とそこのお坊さんのこととなると完全にミーハーである。
ありがたがってしかたがない。
「数をそろえるのに四苦八苦」と書いた記者は怒られてると思う。
修二会では、国家社会のその時々の大問題について祈ることは知っていたが、きのうの記事で十一面観音に祈ると知ってこれにも驚いた。
大仏様に祈るのだと思っていた。
東大寺で国家的大問題について祈ると聞けば、誰だって大仏様に祈ると思うのではないか。
千何百年ものあいだ、国家的大問題を十一面観音に祈ってきたのか。
大仏様の立場はどうなる。
練行衆が、二月堂にこもって声明を唱え過去帳を読み上げ身体を床にぶつけ大松明を持って走り回っている間、大仏様はほったらかしなのか。
大仏様を差し置いて十一面観音に祈るのには立派な理屈があるんでしょうね。
今年は、地球温暖化防止の祈りをする。
これを、国連に届け出ておいて、効果があったら、国連事務総長にお礼参りに来てもらうといいと思う。
朝日新聞では連日修二会関連の記事を掲載している。
それにひきかえ、「鹿せんべい飛ばし大会」のことはまったく無視、と思っていたら、今日の朝刊に「飛んでけ!鹿せんべい」という紹介記事が出ていた。
若草山観光振興会の会長が喜んでると思う。
会長はいつもぼやいていた。
「新聞が、取り上げてくれるのはええんやけど、すんでからでっしゃろ。PRにならしませんがな」
そのとおりだ。
毎年、「きのう、若草山で『鹿せんべい飛ばし大会』が開催された」という記事が大々的に出るのだ。
会長の悲願がかないましたね。