『環シナ海文化と古代日本−道教とその周辺』
東アジア基層文化研究会の論文集で、「絵馬と猿の絵皿−長屋王邸の調査から」、「長岡遷都のブレーン藤原種継と道教思想」など、十編ほどが収められている。
「中国医学、民間療法と道教思想」は、古代中国、古代日本の医療と道教思想の関係について書いてあるのだろうと思って読み始めて、かっくんときた。
著者の高田公理さんの、二十代のころの病気の体験談から始まる。
心身共に不調な時期が続き、血液検査、尿検査、レントゲン撮影など、いろいろ精密検査をしたが、原因がわからなかった。
検査疲れだけが残った。
そこで、漢方薬、針灸、カイロプラクティック、ヨーガ、各種瞑想、はては、インド医学アーユルヴェーダまで、様々な、非西洋、非近代療法を試した。
その中に、「野口式整体」というのがあって、これで長く苦しんだ心身不調がうそのようにすっきり治りました、というなら、わかりやすくて、気楽に読めるが、そうはいかない。
いろいろ試したどれかがよかったのか、ただ治る時期が来たからかはわからないが、治りましたと書いてあって、それがきっかけで、道教思想と医療についての関心を深めた。
その研究結果の、いろいろややこしいことが書いてある。
ややこしいことは省いて、道教の理想とするところは、「不老不死」「不老長寿」だそうだ。
こういう理想を考え付いた人はえらいと思う。
誰もが年老いて死んでいく。
「老死」だ。
年老いなくても死んでいく。
「不老死」だ。
わかりやすく言えば、「若死に」だ。
「不老不死」なんか見たことないのに、どうして「不老不死」なんか思いついたのか。
一番わかりやすいのは、「漢字カード」だと思う。
一字ずつ書いた、「漢字カード」で勉強していて、バラバラと落としてしまった。
見ると、「不」「老」「不」「死」が、たまたまならんでた。
私が思いつけるとしたら、こんなとこです。
道教の最高の理想についてこの程度ですませるのはいい度胸でしょう。