若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

矢島文夫『メソポタミアの春』

浮世のことを忘れさせてくれそうな題名で、つい読みたくなる。
40年ほど前に書かれた「アラビア文学への招待」で、著者は、日本でアラビア文学がほとんど知られていないのを残念がっている。当時手に入ったまともなアラビア文学は七つだそうだ。

コーラン』は名前だけ知っている。
アラビアンナイト』はなじみのあるような気はする。
七冊のうち、十四世紀の大旅行家イブン・バットゥータの『三大陸周遊記』はなつかしい本だ。
高校三年の夏休みに読んだ。読んでいる間は浮世のことを忘れられた。浮世のことといっても、受験のことだ。今も、イブン・バットゥータの名前を見ると、高校三年の夏休みを思い出す。

さて、著者は邦訳すべきアラビア文学の古典を十冊あげている。最初にあげているのが、イブヌル・ムカッファアの『カリーラとディムナ』である。この人はペルシア人で、イスラム教徒になったが、ゾロアスター教を捨てていないとみなされ759年に刑死した。

いい話だ。刑死したのがいいというのではなく、こういう話を知ると浮世離れするのでいい。ムカッファアさんに、あなたのこと知ってますよといいたい。
彼は、古代インドの説話をアラビア語に訳したのだ。
そのひとつ。

泉に、鴨が二羽、亀が一匹仲良く住んでいた。水が減ってきたので鴨は泉を去ろうとする。亀がいっしょに連れて行ってくれと頼む。
「連れて行ってやってもいいが、途中何をいわれても返事をしてはだめだよ」
鴨たちは棒を持ち、亀は棒をくわえてぶら下がって空を飛んだ。それを見た人が、あれはなんだ!と叫んだ。亀が、「よく見ろ」と口を開いたとたん落ちて死んでしまった。

浮世離れしてよろしい。

この、古代インドの物語は、中国経由で日本にも入って、今昔物語に出ているそうだ。今昔物語の亀は、空から見おろした景色のすばらしさに感動して、「ここはどこだ!」と口を開いて落ちて死んだことになっている。
この方が、あわれが深く、いっそう浮世離れした感じがする。

ムカッファアの本はヨーロッパにも伝わり次々と各国語に訳された。
スペイン語訳は1261年だそうです。

トマス・アクィナス(秋ナスとちがうよ)が『神学大全』の著述にとりかかったのが1265年ということだから、『神学大全』の筆を休めて、二羽の鴨と亀の話を読んでほっと一息ついていたかもしれない。