今朝も、県会議員Tさんが駅前で演説していた。
連日連夜、ではなく連日連朝だ。選挙でもないのにどうしたんでしょうか。
「・・・皆様方に深くおわび申し上げますとともに、710年、ここ奈良市に新しい都、平城京が設置されました時の、すがすがしい気持ちにたちかえり、奈良の再生に向けて、力をつくしてまいりたいと・・・」
とんでもない不祥事があったようだ。初心にかえるのはよく聞くが、平城京の昔にかえるとは。明治維新に際し、神武創業の昔にかえれと叫んだ先人の志を継ぐものといえる。
家内の話。
昨日、母の友人Aさんの娘さんがたずねてこられた。
高等女学校時代の友人で、今年の三月に亡くなられたそうだ。
母は小倉の高等女学校の出身で、私が子供のころは、関西にいる何人かの友達との手紙のやり取りを楽しみにしていた。
表で自転車の止まる音がすると、母がぱっと立ち上がる。
「種まいてあるからね」
母は、こう言いながら、いそいそと郵便受けを見に行く。
私もなんとなくうれしくなったものだ。
母の友人Aさんの娘さんがなぜ我が家にこられたのであろうか。
家内の話を聞いて、いろいろ意外に思った。
私は、Aさんという名前を知っているだけなのに、家内はAさんのことをよく知っていた。若くして夫を失い、四人の娘を女手一つで育て上げた、などということは家内から聞いて初めて知った。
昨日来られた娘さん(といっても七十くらいのかただが)も、家内のことをよく知っている。
Aさんと母は、互いに家族のことを話し、それが娘さんや家内に伝わっている。あたりまえといえばあたりまえだ。それはあたりまえだと思うが、そのAさんの娘さんと家内が、母親を通じて知りあったあと、趣味の会などで直接行き来があると聞くと驚く。
私だけのけ者にされた感じだ。
私の母の友達の娘さんなのに、家内にとられてしまってくやしい。
女性のネットワーク形成力はばかにできない。痛切に感じたのは、母が要介護施設に入った時だ。同じような痴呆の症状でも、男性は孤立しているし、女性は輪を作っている。
作ると言うか、なんとなく輪になる。
施設に「いいおばあちゃん」は多いが「いいおじいちゃん」はいない。
「うるさいじいさん」が多い。
おばあちゃんみたいなおじいちゃんになればいいのか。
よくわからん。