三年生になると、いよいよ小学生として油が乗ってくる。
二年の時の担任の、大好きだった山口先生のことも、あっさり忘れてしまう。
三年生の始業式、新任の先生が紹介されたなかで、大学を出たばかりの志水先生の青い背広が光り輝いていた。
こんな服、見たことない!
とにかく、パリッとしてた。
父も、近所のおっちゃんたちも、こんな立派な背広を着てる人はないと思った。
この光り輝く先生が担任だったらいいのになあ、と思っていたら、なんと、先生の組になった。
期待通りの、って、別に小学三年生が何を期待してるわけではないが、まあ、元気はつらつたる先生であった。
放課後、オルガンを弾いて、「新童謡」を教えてくれた。
教科書に出ているようなのではなくて、なんちゅうか、民主的で文化的で、小学唱歌風ではないなと思えるものであった。
先生は、給食費などを入れる白い布の袋を持ち歩いていた。
その袋には、墨で、「一銭を笑う者は一銭に泣く」と書いてあった。
母にどういう意味かと尋ねたら、「お金を大切にしなさいということやね」と言った。
そして、「一銭とは、志水先生も古いねぇ」と笑った。
地域柄、学校には、朝鮮の子が何人もいた。
差別はいけないくらい、小学生でもわかっている。
クラスのA君が、朝鮮人のB君に、「朝鮮!」とののしったとかで、B君がなぐりつけて、A君が鼻血を出した。
大事件であった。
先生が、私たちの前でどういう話をしたか忘れたが、最後だけ覚えている。
「B!『朝鮮!』と言われたら、なぐっていいからな!」
家に帰って、母にその話をしたら、複雑な表情を浮かべて黙っていた。
私は、このとき初めて、「複雑な表情」というのを見たのであった。
先生は、一、二年後、郷里の岡山に帰ってしまった。
大阪を発つ前に、先生はウチに来て、いっしょに写真をとった。
今から思えば、先生にとって、初めての担任ということで、特別の思いがあったのだろう。
油の乗り切っていた私は、先生のこともすぐ忘れてしまった。
二十数年前、同じクラスだった女性Nさんに会った。
志水先生と、今も年賀状のやり取りをしていると言った。
私は、自分が、薄情、冷酷、恩知らずな人でなしのように感じられて、がっくりとなった。