私の中学では、日記を書かせた。
毎週提出して、担任の先生が批評を書く。
生活指導の一環だったのだろう。
生徒の、日常生活を把握したり、心の悩みなどについて知ることができるのなら、いい試みだといえる。
どうだったのでしょうか。
毎週五十人の日記を読むのは、先生も大変だっただろう。
まともに書く生徒は少なかったかもしれない。
もちろん、私はまともに書いた。
先生の評も、まともに書いてあったと記憶している。
私が、どんなことを書いていたか、忘れた。
しかし、二年生の時の先生の評でわかる。
「若草君の日記は、新聞の切りぬきのようです」
私は、日常生活や、心の悩みについて書かなかったのだろう。
痛いところを突かれた、と思ったことを覚えている。
三年の担任の先生は、軽薄なところのある先生だった。
子供にもわかるので、気の毒であった。
最初に日記を出した時のことだ。
一年、二年の先生は、かなり細かく評を書いた。
どんなことが書かれているか。
「大変よく書かれた、立派な、すばらしい日記です」
おお!
こんなことを書かれたのははじめてだ。
気をよくした。
学校からの帰り道、誰かがうれしそうに言った。
「先生が、『大変よく書かれた、立派な、すばらしい日記です』って書いてくれてた」
なぬ!?
オ、オレもや!と私が言うより早く、皆口々に、「オ、オレもや!」と叫んだのであった。
この先生については、学期の始まりから卒業まで、こういう気の毒な記憶がたくさんある。
合掌。