若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「木のいのち木のこころ」2

丑之助君の住んでる所の話をしている場合ではなかった。
講演は六時からだ。
寄り道をしているヒマはない。

複雑に折れ曲がった、迷路のような奈良町をしばらく歩くと、奈良町物語館が見えてきた。

石畳の道にKさんが立っていた。
卒業式以来だから、十年ぶりだ。
家内は、何度か会っている。

「字は体を表わす」との言葉どおり、Kさんの全身からは妖しい瘴気が立ちのぼり、誰もがひと目見た瞬間、さすが邪馬台国シャーマニズム選手権五連覇の偉業を達成した女性と、恐れひれ伏すような風貌なら楽しいのだが、ことわざを裏切って、力強くもおどろおどろしい文字とは似ても似つかぬその姿、夕暮れ時の奈良町の石畳に静かにたたずむKさんは、天平の麗人、というより、薬師寺東塔の水輪から抜け出た天人が舞い降りたか、はたまた百済観音の化身かと、私たち夫婦を迎える端正かつ優美なアルカイックスマイルに、思わず知らず手を合わせたのであった。

こんなふうに書くと、これを読んでくれているKさんを意識して、調子のいいこと書いているのだろうとか、ゴールデンウイーク愛読者特別サービスかと思う人があるかもしれないが、そんなことはない。
私は、写実をモットーにしています。

色々気を使ってる間に、講演の時間になってしまったではないか。

古い民家の内部を、少し改造した、感じのいい会場だ。
満員の盛況である。

本などで知った、小川さんという人間と、その仕事の魅力にひかれて集まった人たちだろう。
その「今風」でないところを、「今」が求めているという、危うい関係だ。

本を読んだり、人の話を聞いたりすると、自分が何も考えていないことがわかるのでいい。
木のいのちやこころどころか、木のことなんかまともに考えていないことに気づく。

寺社を作る時に使えるような大木は、日本にはないそうだ。
寺や神社の建築ラッシュが続いたわけではないのだから、大きな木などいくらもありそうに思う。

カナダあたりまで買いにいく。
カナダでは、山の木をばっさり大量に切ってやると、そのあとに勝手に生えてくるそうだ。

日本の山は、そうはいかない。
細かい手入れが必要だ。

日本の山とカナダの山は違うんですな。

カナダでも、大木は山のずーっと奥にしかない。
カナダの山に行ってから、山のカナダに行くんです、というようなことは小川さんは言わなかった。