若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

石原慎太郎『法華経を生きる』

図書館で、『法華経を生きる』という題の本が二冊ならんでいた。
一冊は石原慎太郎さん、もう一冊は仏教系大学公開講座をまとめた本。

法華経を」という言い方がわかりにくい。「法華経で生きる」だとわかりやすいと思う。わかりやすいが、法華経を便利な道具扱いしてるみたいでありがたみがない。
法華経と生きる」だと、「法華経」を机に置いて静かに暮らしている雰囲気で迫力がない。

石原慎太郎さんは『太陽の季節』で華々しくデビューした。無軌道な若者を描いた小説だったと思う。「『太陽の季節』を生きる」というのは、わかりやすい。『太陽の季節』に出てくる若者みたいに生きるということだ。
法華経を生きるのは大変ではなかろうか。
大学のころ『石原慎太郎初期短編集』というのを読んだことがある。非常にいい印象であったがそれしか読んでいない。
石原慎太郎は、初期の短編だけは読む値打ちがある」と誰かが書いていたからだ。
それを信じてあとはパス。
いろんな人がいろんなことを言うので、その中で、大事なことだけを信じる、というか、つごうのいいことだけ信じる。ある作家が好きになったらその作家の全作品を読め、というような意見は信じない。

お経について私が心にとめているのは、ふたつ。
新聞の読者投稿欄で年配の人が書いていた。
「若い人は、お経の中に深遠なことが書いてあると思うかもしれないが、そんなことはない。お経のほとんどは荒唐無稽な説話かおとぎ話に近いもので、読まなくてよろしい」

私はこういう意見には、わかりました!と元気よく返事する。
もうひとつはお経の現代語訳がほしいという声に学者が答えたものだ。
「お経の翻訳は難しい。お経は、現代人からみれば一行ですむことを、二ページ三ページにわたって書いてある」
わかりました!飾りが多く、中味がすかすかの文章がカッコイイと思う人達が書いたのですね。

日本のお坊さんはつらい立場だ。インドの人が書いて中国の人が訳したものを研究する。『赤と黒』や『パルムの僧院』の中国語訳を読んで、フランス文学を研究してます、というようなものではなかろうか。

こう書くとお経に対して偏見を持っているようだが、日本人の平均的受けとめ方ではなかろうか。
で、『法華経を生きる』と言われると、ギクッとなる。