若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

『法華経を生きる』2

人生で起きたいろいろな事が、彼を法華経へと導いたようである。

石原さんは、数多くの不思議な体験をしている。というか、石原さんは、数多くの体験を、不思議なことだと思いこんでいる。

小学生のころ、病弱だったお母さんが、夜中に痙攣を起こした。石原さんが医者を呼びに走ったが、三軒回って、どこも出てくれず、夜道を引き返した。
お母さんは、ある宗教団体の、「手かざし」で元気になった。
病弱だった石原さんも、同じ「手かざし」で元気になった。
「霊力」を信じるようになっても当然だ。
弟の裕次郎さんは、そういうことを信じなかったので、早死にした、と慎太郎さんは考えている。

会社重役だったお父さんは、51歳で若死にしている。「手かざし」は効果がなかった。それについては、納得できる理由があるそうだが、書いてない。
お父さんの死について、あるいは、「父親」について、いまだにこだわりがあるようだ。

石原さんは「霊能力者」を信じている。初めて選挙に出たとき、サンケイの社長が、霊友会の会長に頼んで、会員票を20万票もらってやると言った。
挨拶に行ったら、会長は、20万票といわず全部やるよ、と言ってくれた。

こういう話は「霊能力者」にふさわしくないと思う。
会員票をやるのじゃなくて、全国の有権者を霊力で動かしてほしい。
まあ、なんにしても、霊能力者を信じ、石原さんを信じている人のためにも、こういう内輪話は、黙っててほしいものだ。

石原さんは、学生時代、お父さんにねだって、ヨットを買ってもらった。何たるどら息子であろうか。若き流行作家として、銀座のバーで飲んで、外車を飛ばして、逗子の自宅まで45分で帰るという、超暴走行為の常習犯だった。

ある晩、例によって暴走していたら、タクシーが横に来て、運転手が、あんたみたいな運転のうまいのは見たことがない、と言って去って行った。
あれはおやじだ!と思って、その後暴走をやめた。
なにかにつけて、死んだお父さんは、石原さんを見守ってくれた。なにかにつけて、生きたお父さんとして、石原さんは息子たちを見守っている。

暴走するどら息子を見て、石原さんは、目を細めて、若い時はこんなもんだというだろうか。あるいは、目を吊り上げて、許さん!と怒鳴るだろうか。

その場に応じてテキトーに使い分けるのが、法華経を生きることかもしれない。