石原慎太郎さんは、アメリカで、旧知のアメリカ人ヨットマンの墓を訪ねた。
墓の様子を見て、このヨットマンが死んでから、誰も来ていないと見抜いた。
鋭いですね。
石原さんは涙を浮かべる。
さびしい話ではないか、仏教徒でよかった。墓に一度も来ずに、故人のことを思っていますなんて、それはウソだ。それ以上言いたくないが・・・。
って、充分言うてるがな。
私にとって、墓は荒れているものだ。子供のころ、祖父が眠る墓地に行くと、草ぼうぼうの墓がいくつもあった。誰も来てくれないなんて、と気の毒に思った。
中学生になると、その墓地が、昭和十年代にできた事を知った。墓を作って、二十年ほどで、誰も来なくなるのか。当時の私にとって、二十年はかなりの年月だ。
その間に、戦争があったし、遠くへ引っ越した人もいるし、いろんな事情があるのだろうと思った。
二十年ほど前、父の「御先祖探し」につきあったことがある。たくさんの家が、「絶えている」のを知って驚いた。子供ができなかったり、死んでしまったり、行方知れずだったり。
墓が荒れるには、いろんな事情がある。
仏教徒でよかったということだけでもなかろうに。
それ以上言いたくないが・・・。
こういうエピソードがたくさん出てくるので、『法華経を生きる』を読んで、石原さんの人となりがよくわかった。そういう点では、なかなかよくできた本である。
法華経について書いてあるところは飛ばしたので、石原さんが法華経を生きているかどうかは、わからない。わからないが、石原さんは、私を、あたたかい目で見てくれないだろうと思った。石原さんに、怒鳴りつけられてるとこは想像できた。
もう一冊の『法華経を生きる』を読む。
最澄は、天台大師智ギ(難しい字)の本を勉強した。
立正大学教授浅井圓道さんによれば、「天台大師の書かれた本は、大変わかりにくいのです。ことに、今日の私たちにとっては、わかりにくいの一語に尽きる書物で・・・様々な注釈書を参照しながら読んでも、なおかつ首をひねるといった難解なもの」で、「最澄も、なかなかわかりにくかったと思います」
浅井先生は、「密教というのは大変わかりにくいもので、何を言ってるのかさっぱりわからないようなところが多いのです」とも書いておられる。
なんとなくうれしくなる。