若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

川尻秋生『平安京遷都』

岩波新書日本古代史シリーズの一冊。

岩波新書の「日本近現代史シリーズ」や「日本古代史シリーズ」を読むと、日本史に関する最新の知見に手軽に接することができて非常に勉強になるともいえるし、読んだ端から忘れるのだから勉強にならないともいえる。

主観的には「勉強になる」に一票、客観的には「勉強にならない」に一票というのが妥当なところだろう。

さて、この本の初めに、近代日本は平安文化を切り捨てるところから出発したともいえると書いてある。
明治維新を主導したえらい人たちは、これからの日本、お化粧をした天皇ではだめだと思ったんですね。
平安時代は軟弱である、奈良時代の方がいい、という時代的雰囲気があったようです。

さて、この本の最後には、と書くと、初めと最後だけ読んで中は飛ばしたんかと思われるでしょうが読んでますよ。
中も読んでますが、最後には、平安時代を研究するむずかしさについて書いてある。

まず、平安時代は長いので、イメージがつかみにくい。
そして、日本書紀から始まった「国定版日本史」が平安時代の途中で作られなくなったので、頼りになる資料が少ない。
最後に、平安京京都市の下に眠ってるので、木簡などの考古学的資料が圧倒的に少ない。

なるほど、学者にとって考古学的資料が少ないのは残念なことでしょう。
日本史学者は、一日も早く京都市が廃墟になって、平安京の遺物を掘り出せる日が来ることを待ち望んでいるのではなかろうかと邪推する。

本編です。
元慶2年(878年)3月、秋田のエミシたちが突如反乱を起こし、秋田城を焼き討ちした。
「エミシ」というのは、京都の朝廷が「野蛮な異民族」と認定した人たちだそうです。
認定された方はたまりませんね。

それまでも「エミシの反乱」はあったけど、今回はいろんなグループが団結して「民族解放戦線」を結成、、雄物川以北の独立を要求したというのだから大変です。

鎮圧軍は敗北、兵力を大幅に増加した第二次鎮圧軍も大敗を喫し、政府に衝撃が走った。
あわてた朝廷は、鎮守将軍を任命、反乱軍の制圧を命じた。

この鎮守将軍に任命されたのが、「小野春風」。
カックンとなった。

小野春風

いかにも平安朝風流貴公子然とした名前ではないか。
和歌と書に優れ管弦の道に秀で、光源氏のお友達として源氏物語に登場しそうな名前である。

鎮守将軍、この人でだいじょうぶか。
さんざんに打ち負かされて逃げて帰ってくるならいいほうで、現地につかないうちに怖気づいて逃げて帰って、都の人々に「あれでは春風じゃなくて臆病風だ」と笑われるのではなかろうかと心配しつつ先を読んでびっくり。

小野春風さんは、お父さんが鎮守将軍だったので、子供のころから陸奥で育ち、エミシの言葉にも通じた豪勇無双の武人で、鎮守将軍として現地に乗り込むや、単騎反乱軍に乗り入れ降伏を迫ったというんですから心配なんかして失礼しました。

それはいいとして、春風さんのお父さんの名前が、「小野石雄(いわお)」というんです。
鎮守将軍小野石雄さんが、息子になぜ「春風」なんて名前を付けたんでしょう。
平安時代最大のナゾではなかろうか。

「石雄」という色気もそっけもない自分の名前が嫌いだったのかな。

あるいは、陸奥の国の鎮守府で長く厳しい冬に耐え、待ち望んだ春一番が吹いた日にこれまた待望の男児誕生の知らせを受けたのかもしれない。

男児誕生の喜びを胸に鎮守将軍小野石雄は、春一番の風に向かって朗々と歌い声をあげた。

♪しらかば〜〜あおぞおら、みいな〜あみいかあぜ〜〜〜。

鎮守将軍小野石雄カラオケ十八番「北国の春」、このとき男の子の名前は「春風」と決まったのだ。

若草鹿之助商店平安時代事業部の調査により、平安時代最大のナゾはあっけなくとけてしまったのであった。