若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

それほど毛皮が欲しいのか

『日本渤海交渉史』

渤海からの船は、いろんな所に到着している。
出羽、出雲、加賀、隠岐など。

出たとこ勝負、風まかせ波まかせ。
目的地は日本列島。
どの港に入港しようという考え自体がなかったのかな。

渤海からの使いが来ると、日本国はええかっこして、連日どんちゃん騒ぎの大歓迎で、お土産のお返しも、見栄を張って張り込んだから、経済的には苦しかったようだ。

渤海からの使節」は、「外交使節」の名を借りた「貿易団」だったのではなかろうか。
しょっちゅう来る。

日本側がネをあげて、6年に一度しか来たらダメ、とか、12年に一度にしてちょうだい、と言っても、知らん顔でやって来る。
「約束を守らないなら、都に入れてやらない」と言って追い返したりしている。
それでもやって来る。

よほどもうかったのだろう。
日本人は、とにかく毛皮がほしかったようだ。

828年、前の使節が来てからわずか二年目で、またもや渤海使節が但馬の国に到着した。
朝廷は、怒って但馬の国から追い返すことにした。
すると、貴族たちは、但馬の国まで毛皮を買いに人を派遣したそうだ。
おしゃれに命をかける平安朝のちょいワルおやじたち。

平安朝のおやじたちは、おしゃれだけでなく、文芸にも力を入れていた。
渤海も、日本と同じく、唐の影響をまともに受けた国である。
漢詩が盛んであった。

宴会では、カラオケもないことだし、「日本vs渤海、紅白漢詩合戦」というようなイベントが行われ、日本側からは、菅原道真紀長谷雄等が参加している。

882年、渤海から送り込まれた大使は、漢詩名人として有名な人だった。
で、負けてはならんと、宴会のお相手も、「日本漢詩ベストテン」にはいるような人をピックアップした。

ところが、そのうちの一人が出席できなくなった。
しかたなく、当時有名なイケメン君、藤原良積をかわりに出席させた。
いろどりに座ってたらよろしい、ということだったのだろう。

ところが、このイケメン君、よほど漢詩に自信がなかったようだ。
大使が、「えへん、宴たけなわではございますが、ただいまより、紅白漢詩・・」と言ったとたん、会場からあわてて逃げ出してしまったそうだ。

なぜこんなしょうもない話が伝わってるのだろう。
イケメン君のことをよく思ってない人が書き残したんでしょうな。