若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

貂の毛皮

高校の世界史で、「渤海」という国の名前を知った。

上田雄・孫栄健『日本渤海交渉史』

奈良時代から平安時代にかけて、遣唐使が、日本の政治や文化全般に、大きな影響を与えたことはよく知られている。
同じ時代に、渤海から日本へ34回、日本から渤海へは15回、使節団が往来したことは、ほとんど知られていない。
残念だ!というので書かれたのがこの本である。

上田雄さんは、1931年神戸生まれ、神戸大学文学部日本史学科卒業、法政大学文学部地理学科(通信教育課程)卒業、日本海事史学会地方理事、日本気象学会会員、日本暦の会会員、世界都市研究会会員と、詳しく書いてある。
孫栄健さんは、「1947年島根県に生まれる」、でおしまい。

お二人とも著書は多い。
上田さんは、渤海関係だけでもかなりある。

一方、孫さんの著書。
邪馬台国の全解決』
すごい。
それから、『詩の探求』
そして、『対韓経済投資便覧』
すごいわ。

このお二人の関係については何も書いてない。
どういういきさつで、二人で『日本渤海交渉史』を書くことになったのか謎である。

聖武天皇が即位して四年目の、神亀四年(727年)、出羽の国の海岸に異様な風態をした八人の異人が漂着した」

これが、渤海から日本への最初の使節であった。
礼を尽くした国書を携えた一行は、できたばかりの平城京で大歓迎を受けた。
そのとき持ってきたお土産は、貂の毛皮300枚。
これに日本側は大喜びしたようだ。

お返しに、綾10疋、あしぎぬ20疋、さいきん10疋、きぬいと100くくり、きぬわた200屯、というのであるが、これは、わかりにくい。
貂の毛皮300枚とくらべて、どうなんでしょうか。

貂の毛皮は、日本で大人気で、渤海にとっていい輸出品になった。
渤海のシンボル商品ということで、919年に来た第34回使節の大使も、宮中晩餐会に貂の毛皮を1枚身につけて出席した。

そこに現れた醍醐天皇の息子重明親王の姿を見て、渤海大使は腰をぬかさんばかりに驚いた。
なんと、貂の毛皮を8枚ぶら下げていたのだ。
光源氏みたいな人が、貂の毛皮8枚!
ぶらぶらと。

フランス大使夫人が、ルイヴィトンのバッグを持って歓迎会に出たら、日本の外務大臣夫人が、ルイヴィトンのバッグを両手に下げた上、両肩から一つずつ、腰のまわりに三つ四つぶら下げて、威張ってたというようなとこでしょうか。