若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

磨崖仏

磨崖仏というのは、岩壁に掘った仏像である。
持ち運びできない。
石仏は、持ち運びできる。
重たいけど。

韓国文化院監修『古代日本と渡来文化』
仏教美術研究所所長の久野健さんが、日本最古と思える磨崖仏を紹介している。

山口県山陽小野市、菩提寺山にある磨崖仏だ。
3メートルという、大きな像だ。
新羅から渡ってきた工人の手になるものだろうという。

ところが、地元の人達は、これは昭和6年にできたものだといっているらしい。
禅宗のお坊さんが彫ったというのだ。
久野さんは、間違いなく奈良時代のものだ、昭和などとそんな馬鹿なことはないと一笑に付している。

ヘンな話だ。
地元の素人が、奈良時代のものというので、専門家に調べてもらったら、昭和のものだった、というならわかる。
開運!なんでも鑑定団」でよくあるパターンだ。

話が逆だ。
写真を見る。
台座の蓮弁、流れるような衣のひだなど、ひと目見れば、工人の並々ならぬ力量がうかがわれ、新羅様式を受け継ぐ白鳳時代の傑作だとわかるほどの眼力は私にはない。

白鳳時代といわれればそんな気もするし、昭和といわれればそんな気もする。

インターネットで調べる。
古川卓也さんという方が、くわしく調査されたようだ。
天保12年の文書に、この磨崖仏のことが出ているそうだ。
それなら、昭和6年ということはない。

古川さんは、鉱物学の先生に、この、花崗岩の岩肌に刻まれた磨崖仏がいつできたかわかるか聞きにいった。
先生は、花崗岩が何億年前にできたかはわかるが、仏像がいつ刻まれたかはわからないと答えた。

地元に伝わる、作者とされる禅宗のお坊さんの名前も問題だ。
「村田宝舟」
古川さんは、禅宗の坊主で「宝舟」というネーミングはないだろうという。
説得力がある。

宗源とか、無文とか、玄峰、瑞巌あたりが禅宗っぽい。

山中で、長く忘れられていた磨崖仏を見つけて、自分が彫ったというなんて、この坊さん、磨崖仏より、まがいものがふさわしい。