この本を、インターネットのどこで知ったのか忘れた。
どなたかが日記」で紹介していた。
「太田道子と佐藤研をかこんで」という対談の本で、太田道子という人が面白そうだったので買った。
オリエント学者で、新共同訳聖書の旧約担当のメンバーで、パレスチナ難民の援助に尽力しているという。
整骨院に行くとき持って出て、電車で読み始めた。
途中から座れた。
駅に着いたので、バッグに入れた。
バッグのポケットに入れようかと思ったが、落ちるかもしれないと思ってやめた。
用心してふたを閉めた。
整骨が終わって、駅のベンチで取り出そうとして、バッグを開けて、思わず、あっと声をあげてしまった。
入れたはずの本がない。
これはいったい?
ふしぎである。
整骨院に電話したが、なかった。
近鉄に電話したが、落し物としては届いていない。
『新約聖書』の忘れ物は、届いているそうだ。
私は、忘れ物をしたことがない。
物忘れはする。
物忘れはするが忘れ物はしたことがない。
忘れ物をしたことを忘れているだけではないか、といわれれば自信がない。
『聖書と現代社会』がどこに消えたか、ホントに不思議である。
私が消したのなら、ミスター・マリックの弟子を名乗れる超魔術師だが、消したのではなく消えたのだからしかたがない。
また私の前に現れるかもしれない。
気長に待っていよう。