高校、大学と美術部で、仕事をやめてから一生懸命絵を描いているというと、大変絵が好きな男という感じがするだろう。
子供のころから好きだったと思う。
しかし、ほめられたことはない。
S君みたいに、幼稚園から特別扱いされて、小学生のときに親にねだって石膏像を買ってもらうような子供とはレベルが違う。
何だか好きだった、というていどである。
人生で一番嫌な記憶は、絵にまつわるものだ。
小学校一年の担任の先生に、絵のことで、二度ひどく叱られた。
あとになって母は、この先生は、私に目をかけてくれた「恩人」だといったが、私の記憶では、そんなことはない。
授業で、街の絵を描いている時、先生は私の絵を見て、「家に勝手な色を塗ってはいけない。紫や緑の家なんかありますか!」と言ってものすごく怒った。
そして、空をきちんと塗っていないといってまた怒った。
画用紙が見えるようではダメだというのだ。
「空に隙間がありますか!」
「市立小学校図画大会」みたいなのがあって、どういうわけか、私はクラス代表に選ばれた。
母が、「目をかけてもらった」というのは、こういうことをいうのかもしれない。
別の小学校に行って、他の子供達と並んで絵を描いた。
どんな絵を描いたか、おぼえていない。
その大会の展覧会を学校から見に行った。
壁にたくさんの絵がかかっていた。
私の絵を見た先生は、みんなの前で激しく怒った。
どう怒ったのか忘れたが、猛烈に怒った。
「宮本君の絵を見てみなさい!」といわれたことを覚えている。
先生に引率されて、絵を見て回る間、私は泣いていたような気がする。
これが人生で最もみじめな経験だといえば、幸せもの、ということになるだろうか。
宮本君の絵はたぶん「機関車」だったと思う。
母が、「宮本君は、いつも機関車を見てるから、上手に描けたんやろ」といったのをおぼえているのだ。
宮本君の家の裏を、貨物線が通っていた。
私が、先生に言われたことを報告して、母がなぐさめてくれたのだろう。
宮本君とは、高校もいっしょだったが、彼は若くして亡くなった。
小学一年のとき、こういう悲惨なめにあっているのに、嫌いにならなかったのだから、かなり絵が好きだったといえるかもしれない。