子供のころ母に連れられて親戚まわりをしました。
母が律儀だったのか当時はふつうのことだったのか、子供にとってはうれしくなかった。
「よそ行き」を着せられるだけでもいやでした。
よく行ったのは「鳳のおじさん」「浜寺のおじさん」「出口」「星田」。
夏の「浜寺」訪問はうれしかった。
海水浴場が近かったから。
「星田」は遠い親戚みたいですがどういう関係なのか何度か聞いたけどよくわからない。
「鳳」はものすごい広いという印象でしたが、子供のことなので広く感じてたんだろうと思ってた。
あとで聞いたら二千坪と言うことで納得。
小学校高学年のころには「親戚まわり」はなくなったように思います。
小学生高学年になると独自のお宅訪問がはじまった。
同級生の家に行く。
こまごまとよくおぼえてるもんです。
とくに何かもらったことははっきりおぼえてる。
一番うれしかったのは、今中君の家でおばちゃんが「何か買っておいで」と言って10円くれたこと。
朝野君の家で銀紙に包んだ「コインチョコレート」をもらったことも忘れられない。
「ひろちゃん」の家で梅酒の梅をもらって、「なんと不思議な味だろう」と感動した。
山口君は一学年下で、どうして知り合ったのかおぼえてないけど家に行ったことがある。
家に入って、なんか知らんけど「ハイソサエティ!」と思った。
紅茶とケーキを出されてますます「ハイソサエティ!」と思った。
当時子供に紅茶とケーキを出すというのはかなりのもんだと思います。
6年生の時いっしょのクラスだった朝鮮人の男の子の家に行った時はびっくりした。
「家」と言うより「難民キャンプ」という感じで、たぶん何家族かがいっしょに暮らしてたんだともいます。
K君はとてもひょうきんな子でいつもにこにこというかへらへらふざけてた。
K君の家に行って二人でこたつに入って少年雑誌を読んでたらお母さんが現われた。
なんというか、かげろうのように現れた。
子供心に、「消え入りそう」「影が薄い」と言うような印象を受けました。
そっと現れたおかあさんは私の前におでんの入った皿をそっと置いてそっと消えた。
卒業する時K君は私に「社長になったらやとってほしい」と言った。
私はK君に「喜劇俳優になったらサインしてほしい」と頼んだ。
私が高校3年の時、部屋で期末試験の勉強してたら母が顔色を変えて新聞を持ってきた。
ヤクザの抗争でK君が殺された記事が出てた。
ひょうきんなK君とさびしげなお母さんの姿を思い出してぼーっとしてしまった。
ウチに友達が来たことはぜんぜんおぼえてないのが不思議である。