アルマ-タデマの画集本文を読み終わりました。
日本で言えば明治時代、イギリスのヴィクトリア時代に活躍した人です。
この時代、大英帝国の絶頂期で、絶頂期の大金持ちの間で大人気だった。
小さな絵が、今で言うなら何億円で飛ぶように売れたのだから、笑いが止まりませんね。
ただし、当時から悪口も言われてて、サージェントという画家は、「うまく描けてるけど芸術とはいえない」と言ってます。
「あんなもの、香料のきつい石鹸みたいなものだ」と切り捨てた批評家もいます。
その通りだと思います。
しかし、うまい。
うまいけど、彼が描く女性の顔には、納得できない。
舞台が古代ローマであれ、古代ギリシャであれ、描かれているのは、ヴィクトリア時代の有閑マダム、有閑令嬢の顔です。
しまりがない。
ヴィクトリア時代の有閑マダムの顔は見たことないけど、なんとなくそんな気がします。
アルマ-タデマが描く、しまりのない女性達の顔を見ていて、ふと、イザベラ・バードのことを思い出した。
やはりヴィクトリア時代に生きた、イギリスの女性旅行家です。
『朝鮮紀行』や『日本奥地紀行』などで有名な人です。
明治の初めに、女一人で、日本の東北、北海道を回ったり、日清戦争のころ、朝鮮を旅したりしています。
旅行家というより、冒険家、探検家という感じです。
『朝鮮紀行』を読んで感心して、彼女の伝記を読んで驚きました。
病弱な人だったというのです。
そんな馬鹿な。
病弱な人が、明治時代、日本の奥地や、朝鮮や、中東、カナダを一人で歩くか?
読んでみると、病弱な彼女は、医者に転地療養をすすめられる。
では箱根の温泉で、ということにはならず、日本の奥地へ、ということになるのが不思議ですが、日本の奥地を回ってすっかり元気を回復するというのが、また不思議ですね。
旅から帰ると、また体調を崩し、転地療養をすすめられて朝鮮へ渡り、元気回復してイギリスに戻ると病気になる。
これは、当時のイギリス上流社会で、女性が活動できる場というのが、教会のバザーくらいしかなかったからのようです。
有閑マダムにならざるを得ない。
知的で活動的なイザベラ・バードは、そんなイギリスで暮らすことに耐えられなかったのですね。
イザベラ・バードは、アルマ-タデマの描く女性みたいにはなりたくなかった。
納得いたしました。