若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

イザベラ・バード『日本奥地紀行』

この人の本を読むのは『朝鮮紀行』に続いて二冊目です。

日本式に言えば、幕末から明治にかけて活躍したイギリスの女性旅行家というのか、まあ大変な人です。
幼いころから病弱なんですが、転地療養のため温泉とか温暖な海辺の保養地に行ったりせず、当時のイギリス人から見て未開の地域を精力的に一人で旅してまわる。

どこが病弱やねん!?と言いたくなります。

オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ、ハワイ、ペルシャチベットなどを訪ねる。
訪ねてる間は超精力的なんですが、、イギリスに帰って、しばらくすると体調を崩す。
で、また「転地療養」ということになる。

転地療養の一環で日本に来たのが明治11年、47歳の時です。
明治維新からまだ間もなく、前年の西南戦争など日本がまだ騒然としていた。

サンフランシスコから「シティ・オブ・トーキョー号」に乗って東京湾に入り、サラトガ岬やミシシッピー湾を通過、と書いてあるのを読むといったいどこの国の話かと思いますが、アメリカ人たちが勝手に名づけていたようです。

甲板で人々が富士山の素晴らしさを口にするので、著者が見渡したところ、どこにも見えない。
ふとはるか上空に目をやると、おお!雪を頂いた富士山が!

感激した著者が描いた富士山の絵がのせてありますが、どう見ても富士山とは思えません。
マッターホルンか魔女の帽子という感じです。

ごていねいに著者による注がついてます。

「富士山はいつもは扇を逆さにしたような形で、特殊な気象の時にだけこんな風にとんがって見える」

富士山がとんがって見える気象って?

横浜での中国人たちの活躍を紹介してます。
自信に満ちて、支配者階級の一員という感じだったようです。

中国人の目的は唯一金儲けであるが、主人から盗むつもりはなく、しぼり取る。
しぼり取るために勤勉で忠実で克己心が強いから、当然報酬も多い。

彼女から見て、中国人は日本人より進んでたんでしょうね。

できたばかりの鉄道で横浜から東京に行く。
「東京に行くと言っても、切符は新橋か品川まで買う」と詳しく書いてます。

イギリス人が造って、イギリス人運転手とイギリス人車掌が動かす鉄道です。

品川まで来ても江戸は見えない。
なぜか。
江戸には高い煙突や建物がないからである。
なるほど。

イザベラ・バードは日本に来て京都や奈良を回ろうなんて気はさらさらない。
東北、北海道を回ろうというんです。
明治11年に。
女一人で。
ま、通訳を一人連れてですが。

通訳を雇う面接試験に、自称英語堪能な日本人が大勢やってくる。

「英語は話せますか」
「イエス
「給料はどれくらいほしいですか」
「月12ドル」

ここまでは全員英語ですっといくんです。

次に、「今までどんな人に雇われてましたか」「どこかに旅行したことがありますか」という肝心なことを聞き始めるとたちまち日本人は脂汗を流し始める。

まあ、明治11年ですからねえ。

やっとのことで通訳兼召使の青年を雇い、馬三頭と出発する。
彼女と青年が乗るための馬と、荷物を運ぶ馬。

荷物の中には「ゴム製の浴槽」がある。

私はこんな旅はまっぴらですが、人の苦労を読むのは大好き。(^_^)/