この展覧会は、展示の仕方にも問題があると思いました。
京都日本画家協会歴代理事長と顧問の作品は大作です。
油絵でいえば100号以上かな。
それに比べて、現役会員のきのう描いた絵じゃなかった「新作」は小さい。
まあ、500名を超える会員の作品をならべるためには小さくせざるを得なかったんでしょうね。
しかし、歴代理事長、顧問が有名美術館蔵の大作で、現役会員がきのう描いた小品ときては、私みたいな素人なら、「昔の人はえらかった!」と思ってしまってもしかたないんじゃないでしょうか。
無理してびっしりならべることはなかった。
びっしりならべないともめるのか。
さて、「新作」を見てると、「これ、日本画なん?」と思える絵が多い。
油絵と言われてもわからない。
何点か、舞妓はんが、「あいかわらずですんまへんなあ。きつーきつーかんにんどすえ」とヘンな顔で笑ってごまかそうとしてるようなのもあったけど、「京都日本画家協会」じゃなくて「日本モダンアート協会」と言われてもおかしくないのが多い。
それは私の目が節穴というだけで、見る人が見れば「これは日本画!」ということになるのかもしれませんが。
昨日見た限りでは、私には「日本画」と「油絵」のちがいがあまりわかりませんでした。
野見山暁治さんが東京芸大の油絵科の教授だったころ、日本画科の教授が学校を出るところを目撃した。
黒塗りのタクシーに乗った教授を、助教授や助手たちが最敬礼で見送っていた。
野見山さんが油絵科の人に、「おれもあんな風に見送ってくれ」と言ったら、「気がちがったんですか」と言われた。
このあたりが日本画と油絵のちがいかもしれません。
いや、このあたりはあまりちがわんのかもしれない。
それはともかく、実は、きのうの展覧会、逆転満塁ホームラン的大満足だったんです。
びっしりならんだ「新作」を見終わって、家内が、「いい絵を描くってむずかしいのね」と言ったんです。
これです!
この一言で、「日本画 きのう 京 あす」のすべてを許す気になりました。
絵を描き始めて以来、家内の厳しい批評にさらされてまいりました。
「なぜもう少し魅力的ないい絵が描けないのか」
疑問にも不満にも思い続けていたようです。
そして、先日、私の絵を見て、家内がついに、「私も描いてみようかな」てなことを言い出したのです。
ええ〜〜っ!?
私がモデルになって家内が描いて、出来上がった絵を見て私が、「わ〜!すてき!」、てなことになったら立場おませんがな。
戦々恐々としておったんですが、きのうびっしりならんだ「新作」に、絵のむずかしさをしみじみと思い知ったようで、描く意欲はなくなったと見ました。
それだけでも行った甲斐があるというもんです。
終わりよければすべてよしである。