ナイジェリアで、イスラム過激派の武装集団が女学生たちを誘拐したというニュースですが、こういう集団を「イスラム過激派」と呼んでいいんですかね。
イスラム教に失礼のように思います。
自分たちでどういってるか知らんけど、イスラムなんか関係ない最低最悪のごろつき、ならずものですよ。
『最後の過激派:ジョサイア・ウエッジウッド』という本を読みました。
最近続け様に読んでるイギリスの女性歴史家C.V.ウエッジウッドさんが書いた、伯父の政治家ジョサイア・ウエッジウッド(1872〜1943)の伝記です。
1906年の初当選以来、自他ともに許す過激派として国会で活躍した人です。
インド独立を支持したり、女性参政権を主張したりしてます。
な〜んだ、そんなことか、と思うのは間違いで、わ!過激だ!と思うのが正しい。
この人は、過激派といっても、もちろん「イスラム過激派」でもないし「キリスト教過激派」でもない。
自称「独立過激派」です。
少数者、被差別者、被抑圧者の味方として戦う。
はじめ自由党で、次に労働党に移りますが、党の言うことは聞かない。
党の言うとおりに行動するのは民主主義じゃない。
有権者に大変人気があったので、自由党も労働党もお手上げで、好きにしてください、ということだったようです。
あとのほうは、「自由党、労働党推薦」というイギリス政治史上異例の政治家だったということです。
「ウエッジウッド」というのは、食器メーカーの「ウエッジウッド」です。
この本を読むと素晴らしく立派な一族ですね。
まず、創業者のウエッジウッドさんが「奴隷制反対」で有名だった。
莫大な富を築き慈善事業に力を入れるという、キリスト教のお手本みたいな一族です。
イギリスやヨーロッパの似たような一族と代々結婚するから、親戚中偉人だらけのようです。
一番有名なのは生物学者のダーウインです。
この本を書いたC.V.ウエッジウッドさんは、少女時代ヨーロッパで学び、大学はイギリスに戻ってオックスフォードですが、一族みんなそういう感じです。
ドイツの伯母さんに一年ほどお世話になって、フランスの叔父さんとこに行ってからイタリアの伯母さんとこでもう一年、という感じですね。
学校に行かなければならんほど貧乏じゃないという感じかな。
そんなことだから、C.V.ウエッジウッドさんのおばあさんはフランス語とイタリア語は英語同様で、ドイツ語は日常不自由ないくらい、読むだけならギリシャ語も、ということで、孫たちにギリシャ古典を英訳して読んでやるというとんでもないおばあさんである。
名門女子大を出た才媛レベルの話じゃないですね。
さて、ジョサイア・ウエッジウッドさんですが、あるとき、国会での発言について「あなたは暴力をあおるのか」と詰問されて、「私は、ずっと暴力をあおってまいりました」と居直ってます。
晩年、「私の伝記を書いてくれる人があるとすれば、タイトルは『最後の過激派』だね」と語っていたそうです。
姪に書いてもらって満足でしょう。
彼が自分の著書にサインを頼まれたときの話。
第二次大戦の真っ最中で、ロンドン空襲に備えて自衛消防団が組織されていた頃です。
サインを頼んだ人は、消防団員だった。
ジョサイアさんは、本の表紙の裏にこう書いた。
「消防団員殿。放火犯より」
独立過激派、国会の爆弾男の面目躍如というとこです。