19世紀イギリスの彫刻家は、けったいな商売であったし、しんどい商売であった。
大理石が相手です。
しんどい。
大理石を相手にしたことはないですが、しんどいだろうと思います。
油絵の具を筆でキャンバスにぺっぺーというわけにはいかない。
ノミとハンマーでガンガンです。
しんどい。
画材屋でキャンバスを買って持って帰るというわけにはいかない。
石材店で大理石を買う。
等身大の像を作るなら等身大の大理石。
持って帰れないと思います。
巨大記念碑なら巨大大理石。
ゼッタイに持って帰れないと思います。
当時、イギリスを代表する彫刻家が、巨大記念碑のために、18トンの大理石を買ってます。
馬18頭、人夫14人で運んだそうです。
巨大記念碑のための大理石の搬入と、完成記念碑の搬出は、見物人が出る騒ぎだったそうです。
どうやって運んで、どうやって据え付けたんですかね。
そううことですから、当時の彫刻家は、芸術家であると同時に、工場経営者の才覚が必要だった。
一人で制作できるわけはないので、優秀な作業員を確保しなければならない。
優秀だと独立するし、ぼんくらだと作品の質が落ちる。
むずかしいですね。
記念碑には、功績をたたえる文章がついてる。
一文字いくらという計算だったようです。
書くのじゃないから高くつきますよ。
イギリスで、この手の彫像がいちばん流行ったのは19世紀前半らしいです。
10月に、肺炎で入院した病院に、創立者の胸像がありました。
胸像というより、顔像かな。
日本では、こういうの、多いですね。
顔像は、全身像ほどエラそうでないし、手軽でいいと思います。
私たちの世代にとって一番ポピュラーな全身像は、小学校にあった二宮金次郎像ですが、あれはどうなったんでしょうか。
今でもあるんですかね。
↓生後50日のみーちゃん。
全身像でもそれほどしんどくないですね。
おばあちゃんを見つめてます。
カメラを気にしてます。