「チャペル」という言葉は知ってましたが、それがどういうものか考えたことはありませんでした。
私とは関係なさそうだから。
まあ、キリスト教の拝むとこで、歌謡曲で使うと、オシャレな雰囲気を添える便利な言葉、くらいに思ってました。
ペギー葉山の、「♪ツタの〜からま〜るチャペ〜ルで」というやつですね。
高校の頃だったか、プレスリーの「涙のチャペル」という曲がヒットしたときも、失恋してツタのからまるチャペルで泣いてるんだと思いました。
ずっとあとになって、プレスリーは失恋して泣いてるんじゃなくて、神と共に生きる喜びに目覚めて泣いてるんだと知ってかっくんとなった。
プ、プ、プレスリーが?
そんな歌聞いて何がおもしろい?
私にとって「チャペル」との関係はそれくらいのもんでした。
ところが、最近「チャペル問題」が急浮上した。
ファン・エイクの「ヘントの祭壇画」に関する本を読んでたら、「その教会にある数多くのチャペル」という文章があったんです。
大きな教会になると、いくつもチャペルがあったようです。
そこに祭壇画があるんですね。
私は、「祭壇画」というのは、教会に一枚あるものと思ってました。
仏教でいう「ご本尊」とか、神道の「ご神体」みたいな感じで、「本堂」にド〜ント飾ってあって、そこでお祈りすると思ってました。
ヘントの教会は大教会ですから、たくさんのチャペルがあるんです。
ヘントの町は大発展中だったから、お金持ちや同業者組合がチャペルを寄付したんです。
そのチャペルを、祭壇画や彫刻で飾り立てる。
そして、チャペルでご先祖の法要なんかを末永く執り行ってもらえるよう多額の献金をする。
キリスト教にも「永代供養」があったようです。
自分が寄付したことが後世まで伝わるよう、祭壇画に自分の肖像を描かせる。
この祭壇画をファン・エイク兄弟に注文したお金持ちは、600年後まで自分たち夫婦の姿と名前が伝わって満足でしょう。
相当なカネを払ってますが、元は取れましたね。
私が読んだ本には、このチャペルの現在の様子を撮った写真があります。
祭壇画の前で観光客が記念撮影してるとこです。
日本人の中年女性が、祭壇画のマリア像のポーズをまねて、胸で両手を合わせてにっこり笑ってる。
いい感じの写真です。
この女性は、まさか自分の姿が、『ファン・アイク兄弟とヘントの祭壇画』という本のなかでさらされて、世界の美術愛好家に見られてるとは知らないと思います。