聖像をありがたがるのもよくわかりませんが、聖像を破壊しようというのもよくわからん。
タリバンがバーミヤンの石仏を破壊しましたが、せっかく作ったものをこわすなんてもったいないと思います。
イスラム教徒として、アラーの像を破壊するのはわかるけど、仏はほっとけ。
北方ルネサンスの本を読んでたら、キリスト教の聖像破壊もすごいです。
キリスト教にとって、「偶像」はやっかいな問題だったようです。
キリスト像とかマリア像とか神様像とかについて、ず〜っともめてたのが、宗教改革でプロテスタント側は一気に「聖像破壊」に突っ走った。
ついこの間まで、「ありがたや」と拝んでた像をたたきこわしたり、絵を引き裂いたりするんですから、おそろしいもんです。
エラスムスという人は、聖像をありがたがる風潮を苦々しく思ってた。
どこそこの教会のマリア像に触れたら病気が治った、とかいうやつですね。
で、「聖像破壊」をおもしろがってます。
「あれほどの奇跡を起こしてきた像たちが、自分の身も守れないのか」
意地悪いと思います。
聖像破壊の嵐が吹き荒れた地域では、嵐がおさまった後、聖像や祭壇画の注文が嵐のごとく殺到した。
むちゃくちゃな数の教会があって、むちゃくちゃにやられたんですから、注文もむちゃくちゃですよ。
ルーベンスなんか祭壇画の制作でウハウハだった。
祭壇画というのは、教会にひとつと思ってたんですが、大きな教会になると数十枚あったようです。
それを片っ端から叩き壊す。
ドイツやオランダあたりの被害がすごかった。
この地域では、非常に多くの美術品が破壊されたのにくらべて、カトリックの地元のイタリアでは被害がなかったので、結果としてイタリア美術が大きな顔をすることになった。
「いばるなイタリアルネッサンス」と言いたそうである。