女子学生の通学服の洋装化が進んだのは、今からちょうど100年前の1919年という話が出てました。
「1919年」は私にとって特別の年です。
母が要介護施設に入居して間もないころ、母と並んで座ってたら、80代と思える銀髪の女性がつかつかと近づいて、「こちら、あなたのおかあさん?」と声をかけてきた。
「お母さん、何年生まれ?大正4年?私は大正8年。1919年。いちきゅういちきゅう!おぼえやすいでしょ。欧州大戦が終わってから生まれたの。欧州大戦が終わってから生まれた女を近代女性というのよ。狂瀾怒濤の昭和でしたね~」としみじみしたかと思うと、狂瀾怒濤の昭和史を一気に、それこそ怒涛の勢いでしゃべりまくった。
中国の残留孤児問題で一息ついたかと思うと、また「狂瀾怒濤の昭和でしたね~」としみじみしたかと思うと、またもや狂瀾怒濤の昭和史を一から繰り返す。
これをエンエンと繰り返す。
施設に行くたびにやられたので、いや聞かせていただいたので、「大正8年いちきゅういちきゅう」が頭に焼き付いてるんです。
その忘れられない1919年、『天声人語』によれば、今の山脇学園の創設時の校長である山脇房子女史が、紺のワンピースに白い襟の制服を考案した。
あまりに斬新すぎて生徒は嫌がったが山脇校長は自ら率先して着用したそうです。
当時52歳。
校長自ら着用したので生徒は余計嫌がった、とは書いてないけど・・・。
で、ネットで調べたんですが、女子学生の洋装とかセーラー服に関しては、「諸説あります」という感じです。
私は1919年に関心があるだけで、セーラー服には興味ありません。