イギリスの社会学者ベアトリス・ウェッブ(1858~1943)の『私の修業時代』を読み始めました。
好きなジャンルです。
自分が修行するのは嫌いだけど人が修行する話は好き。
そう言うと私がえげつない人間のようだけどちがいますよ。
「私の修業時代」を書くのは成功した人です。
成功した人の苦労話が好き。
長くつらい修行のあげくものにならず死んでいった人は『私の修業時代』なんか書きません。
書いても読まん。
著者は労働問題、貧困問題に取り組んだ学者であり社会改良家です。
社会学を目指す学生のために書いた本です。
「社会学」という分野の開拓者としていろいろ苦労したので、たとえば労働者から話を聞いた時のノートの取り方から教えようというんです。
その前にまず自分を知ることが大事だと強調してます。
社会学者というのは物理学者や数学者とちがって自分の生まれ育ちを知ることから始めなければならない。
どういう親の元で育ったのか、交際範囲はどのようなものだったのか、どこに住んでいたのか、それによって社会を見る目がちがってくる。
自分が特殊で偏っていることを知らなけらばならない。
なぜ自分の偏りについてこれほど強調するのか。
著者が億万長者の娘さんだからだと思います。
ロンドン社交界の花形で引く手あまた、どんな大物と結婚するか注目の的だった。
著者のような女性でもその時代社交界に入らざるを得なかった。
うんざりだったそうです。
両親は熱心なキリスト教信者だった。
とくに母親の信仰心はあつかった。
著者が不思議だったのは信仰心のあつい母が召使を人間扱いしないことだった。
モーセの十戒に「召使をこき使え」と書いてあるみたいにこきつかった。
父親は鉄道、炭鉱、木材と幅広く国際的に活躍した大実業家で、母と同じく信仰心はあつく商売は血も涙もなかった。
両親が熱心に通った教会の信者の間では「牛を相場より安く売るものは地獄に落ちる」と言われていた。
「値切らずに買うのは罪である」と言われていた。
キリスト教、すごいです。
「賃金は水のようなものである」と言われていた。
その心は。
「水が低きに流れるように賃金も低くなっていくのが自然の摂理である。水が高い方へ行くのが不自然なように、賃金が高くなるのは不自然である」
キリスト教、すごいです。