イギリスの社会学者ベアトリス・ウエッブ(1858~1943)の『私の修業時代』を読んでます。
頭のいい人です。
社会学を目指す若者に、「自分の生まれ育ちに注意しなさい」と忠告してます。
数学者や生物学者とちがって社会学者は自分がどんな環境に育ったかを知っていることが大事である。
で、彼女は自分が億万長者の娘として育った話をエンエンと書いてる。
ほとんどが自分の娘時代の日記の引用です。
なぜ日記を引用するのか。
68歳の今の自分が思い出として書くときれいごとになってしまうというんです。
未熟な自分をさらけ出すために日記を引用する。
ただ、日記の引用も困った面がある。
彼女の日記は「心の悩み」を書くことが多い。
宗教とは何かとか政治はどうあるべきかとか、読んだ本とかそんなことばっかり書いてる。
「だからに日記を読んだ人は私が非常に考え深い哲学的思索的少女だったと思うでしょう」
ちがいます、と書いてます。
日記には宗教とか科学とか政治とかについて一生懸命書いてるけど、実際には社交界で楽しく過ごしてた。
男の子といちゃついたり芝居を見たりダンスパーティ、乗馬、お食事、旅行。
そっちがメインだったんで娘時代の私のことを買いかぶらないようお願いしますと書いてます。
頭のいい人です。
知り合いのケチな億万長者の未亡人について書いてます。
どれくらいケチだったか。
当時「馬車税」というのがあった。
それを払いたくなかった。
で、馬車の車輪を外してた。
で、これは馬車じゃないと言い張って馬車税を払わなかった。
乗るときだけ車輪をつけた。
ウチの得意先の社長を思い出しました。
当時の最高級車トヨタクランに乗ってた。
修理に出してすぐ盗まれた。
修理代を集金に来た営業マンに「ない車の修理代をなぜ払わなけらばならんのか」と言って困らせてた。