お水取りです。
春を告げる行事です。
長女は3月12日生まれなんですが寒かった。
家内がいまだに「ストレッチャーで渡り廊下を行くときの冷たかったこと」をしみじみと語ります。
そして出産後の疲れ果てた家内の横で私が気楽そうに寿司を食ってたこともいまいましげに語ります。
私が気楽そうにしてたのは事実です。
あの頃はお産というのは「奥さんと実家のお仕事」という感じだったと思います。
今は産院で寒いということはないでしょう。
昔は隙間風というのがあった。
私が大学時代を過ごした「日本アパート」の4畳半は「隙間風の宝庫」と言っても過言ではなかった。
吹雪の夜、雪が舞い込んできたことがある。
ふつうの家でもトイレじゃなかった便所の冬の隙間風というか吹き上げる風は厳しかった。
子供のころ母に「便所にも火鉢を置いてほしい」と言ったことがあります。
母はよほど感心したようで訪ねてきた伯母に報告してました。
40年ほど前その伯母の連れ合いがなくなった時のお通夜がわが人生最大の隙間風体験です。
真冬で、村のお寺の本堂で、父と私と伯父の教え子の富田さんという方と三人で布団を並べた。
ゴーゴーと風が吹いてた。
石油ストーブ一つで本堂のカーテンが隙間風に盛大にあおられまくった一夜でした。
石油ストーブ以前はどの家でも火鉢一つとコタツだけだったと思います。
家は冷たかった。
中学2年の担任神谷先生が「克己心」について話されたことがある。
先生は剣道部の顧問で、寒げいこの時朝起きるのがつらいが、暖かい布団から出たくないという気持ちに打ち勝たなければならないという話だった。
今みたいに暖房タイマーで朝起きたら部屋が暖かいということのない時代の話です。
神谷先生というとなぜか「信頼できるおとな」という印象なんです。
そういう方だったんだと思います。
社会科の先生で世界史の授業の時「蒙古軍は砂漠を進軍して水がないときは皮袋に入れた羊の血を吸ったんです」と言われた。
私はすかさず「チューチューチュー」と吸う音を立てた。
先生は苦笑して「若草はそういうことは頭が回るなあ」と感心されたのかあきれられたのかはわからない。