『週刊朝日』が休刊になるそうです。
『週刊朝日』は子供のころからウチにあった。
新聞屋さんが朝日新聞といっしょに持ってくる。
家内は結婚した時「新聞屋さんが家に週刊誌を配達する」というのが新鮮だったそうです。
我が家は大正時代から朝日新聞で、ひょっとすると『週刊朝日』も大正時代からかもしれない。
私にとって『朝日新聞』も『週刊朝日』も「なくてはならない」というのじゃないですが、あって当然というか、空気みたいなものでした。
『週刊朝日』は『朝日新聞』の付録というかおまけというか「一体」であって、別々のものという気がしなかった。
結婚後何年かして家内に「『週刊朝日』はとらなくてもいいんじゃないの」と言われたとき、「そうかなあ。やめてもいいのかなあ」と迷いました。
物心ついた時からあるんだから誰だって悩みますよね。
「自分の代でやめたらご先祖様に申し訳ない」
慎重に検討した結果、清水の舞台から飛び降りるつもりで「やめよう!」と決断した。
わが人生、大きな決断を迫られたことがありますが、『週刊朝日』をやめたのもその一つです。
広告の見出しを見て、こんなの読む人いるのかな、いつまで続けるのかな、いつまで続くのかなと思ってましたがついにその日が来たようです。
我が家は朝日だったんですが、子供のころ伯母が何年か同居してたことがあって、
伯母は『大阪日日新聞』という夕刊紙をとってた。
子供心に「ハデな新聞」と思ってました。
どういうわけか一つだけおぼえてるのが一面トップの「凡児、また舌禍!」という記事です。
当時人気のあった漫談の西条凡児がベロンと舌を出した大きな写真が強烈でした。
ある時伯母が、「大阪日日っておもしろいよ。ウソかほんとか知らんけど、あることないこと書いてあって」と言ったのでびっくりした。
伯母は「インテリの有能な職業婦人」だったんです。
子供だった私は、「ウソかほんとかわからないあることないこと」をおもしろがってはいけないのではないかと思って伯母に対する尊敬の念が揺らいだ。
その時は、ウソかほんとかわからないあることないことを自分で書くようになるとは思いませんでした。
伯母は本当に『大阪日日新聞』が好きだったようで、晩年も自宅から電車に乗って京阪枚方駅まで『大阪日日新聞』を買いに行ってました。
この場をお借りして伯母と『大阪日日』に合掌。