朝の駅で、毎朝、乗車位置に立って、ショルダーバッグを下に置いて、電車を待ちながら缶コーヒーを飲む中年男性がいる。
私はベンチに座って、彼の後姿を見ている。飲み干した彼は、こちらを向く。実に満足そうな顔をしている。微笑を浮かべている。うまかったのだな、と思う。
テレビの缶コーヒーのCMのわざとらしさもなく、おいしさを実感させる。缶コーヒーの次世代CMの主役にはこの人をすすめる。
こちらを向いた彼は、ゆったりと歩いてくる。実にゆったりと私に向かって歩いてくる。どれくらいのゆったりかというと、北京天安門広場で太極拳をしている人並みのゆったりである。
ベンチに座っている私の1メートル前に来ると、彼は、突如ボウリングの投球動作に入る。左足をぐっと前に出して、腰を沈めて右手をスーッとこちらに伸ばしてくる。
最初、私は、彼が私を触りに来たのかと、思わず内股になって、防御の姿勢をとったのであった。しかし、ちがった。彼は右手に持った空き缶を、ベンチの下に、ポンと置くのであった。
ベンチの下に置くと、また悠然と乗車位置に戻るのである。
この人は、駅構内の美化に協力している良い人なのだろうか。あるいは、空き缶は空き缶入れに、というお願いを守らない悪い人なのだろうか。
判断に苦しむのである。
今朝、この人は二人で並んでいた。そして、いつものようにコーヒーを飲み終わると、こちらに向かって歩いてきた。
そのとき、ホームを歩いてきた男性が、缶コーヒーの人が立っていた場所に立ってしまった。ショルダーバッグが置いてあったけれど、どう見ても、もう一人の人のバッグに見えた。
そんなこととは知らず、彼は、いつものようにボウリングの投球態勢で空き缶を置くと、ゆっくりと振り返った。
振り返った彼は、「自分の場所」に他人が立っているのを見て、のけぞってひっくり返りそうになった。そしてその不自然な姿勢で数秒固まっていた。
そんなに驚くことか?
打撃から立ち直った彼は、「自分の場所」に向かって歩き出した。ゆったりとはしていなかった。糸の切れた操り人形のようなぎこちない動きであった。
なんと、彼は自分の場所をとり戻そうとした。身体を斜めにしたり、手を伸ばしたり、肩から割り込もうとしたり、悪戦苦闘していた。
後から来た男性は、気色悪そうに彼を振り返っていた。