若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

母が私を忘れた頃

 十数年前、母の物忘れがひどくなりだしたとき、私は「痴呆症」について何も知らなかった。
「お袋も、トシやなー」と思っていた。

 心配性の父は、色々勉強して、「痴呆症かもしれん。怖い病気や。その内、おまえのこともわからんようになるかもしれん」と言っていた。
 私は、腹が立った。心配するにも程があると思った。母が私を忘れることなどありえないではないか。

 十年前、母の症状がかなり進んだ頃、父が入院した。
それを母は記憶することが出来なくなっていた。

 食事がすんで、自分達の部屋に行ったかと思うと、すぐ戻ってくる。
「おとうさん見えんけど、どこかに行きはったん?」
「××病院に入院してる」
「え〜えっ!入院!なんとあきれたねー!自分の主人が入院してることも知らされてないとは!あんたは、なんという息子や!」

 ここから二、三十分かけて説明する。やっと納得して、「わたしもトシやねー」などと言いつつ、自分達の部屋に行ったかと思うと、すぐ戻ってくる。
「おとうさん、見えんけど、どこかに行きはったん?」

 夜が困った。夜中に起きて、父を探すのである。
しかたがないので、私が母の横で寝ることにした。母が目を覚ますと、私が説明するのである。

 ある晩、私の説明を聞いて納得した母が、私をじっと見て言った。
「あんたは、私の弟やね?」
驚いた。
「ぼくは弟と違うよ。子供!」
「子供?子供にしたら大きいやないの」

 それからしばらくして、母が私をわかっていないな、と思うことが多くなった。私に対して、敬語を使ったりするのである。

 私が、「今日は暑いね」と言うと
「そうですねー。だんだん暑くなってきましたですねー」
わかってないな、と思う。

「おかあさん、ぼくは『みのる』ですよ。ぼくは『みのる』」
すると母は目を丸くして、まじまじと私を見つめて
「えー!『みのる』!あ、そうですか。うちの息子といっしょですねー」
「?▽?○?*」

 ある日、伯父(母の兄)が来てくれた。
「ワシや、キヨシや。あんたの兄貴やで。わかるやろ?・・・なに?わからん?見えてないのか?この顔が見えんのか?・・見える?見えててわからんてどういうことや!おかしなこと言うな〜!あんたの兄貴やないか!キヨシやがな!なにがわからんのや!言うてみー!」
 伯父は顔を真っ赤にして怒っていた。