「ガン!」という感じでした。
私と家内は息子の部屋にすっ飛んで行きました。
当時長女が高校生、次女が中学生、息子が小学生だったんでそうなっただけです。
出勤の支度をしながらテレビを見たらたいしたことなさそうに思えた。
学園前駅に行ったら電車が動いてないので会社に電話した。
会社は東大阪市にあったんですがたいしたことなく安心した。
というようなのんきな午前中でした。
1995年、我が家は年明けから大激震だった。
1月11日に母が骨折して「痴呆症」が一気に進んだ。
「認知症」というような穏やかな言葉はなかった。
「痴呆症」「ボケ」。
骨折したという自覚のない母の入院生活は大変でした。
当時は病院の認識もまだまだで、母の状態を説明しても「お年寄りってそんなもんです。だいじょうぶ、おまかせください」という感じでした。
ぜんぜんだいじょうぶじゃないので見舞いに言った父が文句を言われ、父から会社に電話がかかって「今日こんなことがあったので看護婦詰め所に謝りに行ってくれ」というようなことが何度もあった。
で、申し訳ないような気もするんですが阪神大震災というとそっちを思い出す。
思い出したくないけど思い出す。