テレビを見ていたら、真っ白い猿がジャングルの木を伝っていく場面だった。
高校のとき見た真っ白い猿を思い出した。
私は、高校のときよく授業をサボった。
文部省の学習指導要領では、サボることを「怠業」と言う。
しかし、私は、サボってマージャンをしていたわけではない。
美術館に行ったり、スケッチに歩いたりしていたのである。
だから、先生達の中には、私の場合は「怠業」とは言えない、「自主的に校外学習によく励んでいると言うべきだ」と、高く評価してくれるような心ある人はいなかった。
天王寺の美術館は近いので、いつでも適当にサボって行けたが、京都の美術館は、土曜の三時間目からサボるとゆったりと鑑賞することができた。
今も手元に残っている新薬師寺付近のスケッチなど、すべて自主的校外学習の成果である。
ある日、私は授業をサボって天王寺動物園に行った。
動物をスケッチしようと思ったのだ。
四、五階建ての建物くらいの巨大な檻の前で鳥を見ていると、上のほうで、「ホー!ホー!」という声がした。
見上げると、はるか上のほうで、真っ白い猿が飛ぶように枝から枝へ移動していた。
翌日、国語の時間に俳句を作って提出することになった。
俳句を作るのは初めてだった。
そのときW君が、「ボクは毎日俳句を作ってる」と言ったので驚いた。
通学電車の中で作って、手帳に書いていると言うのだ。
私たちの高校は、服装も髪型も自由だったが、この人は、「東大に入るまで髪の毛は伸ばさない」と言って丸坊主だった。
そして、八浪したあげく東大に入れず、卒業後四十年、今なお同窓会にはツルツル坊主のまま参加するというなら楽しい話だが、めでたく現役で東大に入ってしまって、髪の毛を何の遠慮もなく誰に気兼ねもせず堂々とボーボーと大威張りで伸ばしたのだからシャレにならない。
こういう人はだめだ。
さて、私は、動物園での感動を詠んだ。
白い猿が ホーホー鳴いて 空を飛ぶ
写実に徹してみたのだ。
次の国語の時間に作品が返却された。
先生の評が書いてあった。
友達のを見ると、当然のことながら、皆くだらん俳句を作っていた。
それに対する先生の評は、「身近な自然を細かく観察できています」とか、「そのときの君の感動が素直に表現されています」とか書かれていた。
私の句に対する先生の評は一言だけであった。
「変だ」
ヘンか?