著者リチャード・アンダーソンさんが滞在した大本山には、一万坪以上の大庭園があり、茶室も四つあったので、よく茶会が開かれた。
あるとき、茶会の前の夜に茶道具が運び込まれ、保管を頼まれた。
高価な茶道具なので、寺は、住み込みだったアンダーソンさんに「警備」を頼んだ。
私なら、「1億円の茶碗と寝た!」と言いふらしたいから、喜んで引き受けるところだ。
しかし、アンダーソンさんは私のような軽薄な男ではない。
「もし、この道具を狙って賊が侵入した場合、私は命がけで闘う義務があるのですか?」
これだ!
これがアメリカ流だ。
彼はもともと、この寺の美術館設立計画要員として雇われているのだ。
警備を頼んだ僧侶は笑った。
「べつに何も起こりませんよ」
「ならどうして警備を頼む?」
あるとき、寺が庭園を開放して大茶会を開くことになった。
茶道の諸流派の協力を得て行われた。
茶室は四つあるので、裏千家と表千家はひとつずつ使ったが、炊事場は共同で使うことになった。
この炊事場での裏千家と表千家の人々の有様を見て、アンダーソンさんは驚いた。
彼らは互いに話をするどころか、挨拶もせず会釈もせずどころか、全く無視、相手が存在しないかのように振舞ったのだ。
多少茶道について心得のあるアンダーソンさんはあきれてしまって隣にいた僧侶に聞いた。
「これはどういうことですか。流派が違うというだけでお互い無視しあうなんて、コレ、茶道の精神ですか?」
「さ、どうかな」
「あのねー、ボクはアメリカ人です。そんなつまらないシャレは通じません。まともに答えて下さい。
あの人たちは、茶室では素晴らしく優雅で礼儀正しい人たちです。
ところが、炊事場では全くの礼儀知らずです。
利休が唱えたと言われる『和敬静寂』の精神は、茶室の中だけのものなんですか」
「アンダーソンさん、茶道の世界にはね、裏と表があるんですよ」
「えーかげんにしなさい!」
「ほんとにネッ!」