電車にその男が乗ってきた瞬間、私は、この人はヘンな人かもしれないと思った。
一見ふつうの、私と同じような年頃の、まじめなサラリーマン風であった。
黒いズボンに黒い靴。
問題はコートだ。
スプリングコートと言うのか、わりと薄手のコートだ。
白い!
とにかく真っ白けだ。
輝くばかりだ。
そして小さい!
とにかく小さい。
つんつるてんだ。
「異様」と「普通」の中間より少し「異様」寄りだ。
洗濯機にこのコートを入れて、蛍光増白剤入り強力洗剤花王スーパーホワイト業務用を一箱放り込んで連続18時間洗濯し続けたので、これほど真っ白になった挙句これほど縮んでしまいましたと言わんばかりのコートである。
彼は、車内を見渡すと、ゆっくり歩いて前の車両に移動した。
私は、彼が本当にヘンな人なのかどうか確認するため、彼を追って前の車両に移ろうかと思ったがやめた。
ドア越しに観察することにした。
次の駅で、彼の少し右側の席が空いた。
彼はゆっくりとそこへ行った。
コートを脱いだ。
下も真っ白なセーターだったが、大きさは普通だった。
彼はコートをたたんで席に置くと、こちらに向かって歩いてきた。
彼はドアを開けると、上半身だけこちらの車両に入れた。
片足を上げているので体操選手みたいなポーズだ。
彼は私の向かい側でドアにもたれて立っている70過ぎと思える女性を見た。
どうもこの女性に目をつけていたようだ。
彼は女性を見て、「おばあちゃん、おばあちゃん」と声をかけた。
にこりともしないが、優しい声だ。
女性は彼を見て怪訝そうな表情を浮かべた。
「おばあちゃん、席空いてるよ。おいで」
彼女は困惑したような表情を浮かべながらも、吸い寄せられるように彼について行った。
理性は「警戒せよ」と言っているのだが、身体が勝手に動いてしまった感じだ。
彼はコートを置いた席を指差した。
彼女は困惑の表情を浮かべたまま座った。
礼も言えないようだった。
彼は再びコートを羽織ると、向こうへ歩いていった。
この人はヘンな人なのか。
非常に親切な人なのか。
非常に親切であることはヘンなことなのか。