若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「高名の木登り」

受験シーズンになると、この『徒然草』に出てくる話を思い出す。

私が通った中学は、試験の多い学校だった。
学校を挙げて受験に取り組んでいたのだろう。

一年のときの担任の先生は、体育の男の先生だったが、なんと定期試験の前になると、数学と英語の先生に頼んで自分のクラス用の模擬試験問題を作ってもらって私たちにやらせた。
ありがたいと言うべきか迷惑だと言うべきか、熱心だったのは確かだ。

三年の担任の先生は、初めて三年生を受け持つと言う理科の先生で、実にまったく恐ろしく熱心であった。
三年になってすぐ、先生は黒板に大きな木を描いた。
木の幹は地面からすぐのところで大きく左右に分かれた。
上の方で更に細かく枝分かれした。

先生は、一番下の大きく左右に分かれる部分を赤のチョークでカンカンたたいた。
「キミたちは、今ここにいるんや!高校受験で人生が大きく分かれるんや!」と狂ったような目をして叫んだ。

私は非常な不安を感じた。
先生は、黒板に、「入試まであと○日」と書いて、毎日数字を記入した。

一月だったか二月だったか、もうすぐ入試というころだった。
国語の時間で『高名の木登り』を習った。
有名な木登り名人が、弟子を木に登らせて枝を切らせていた。
高いところにいるときはなにも言わなかったのに、低いところに降りてきてから、「気をつけろ」と注意した。
見ていた人が不審に思って尋ねると、「高いところにいるときは恐怖心で自然に気をつけるものです。安心して気が緩んだときが危ないのです」と答えたという話だった。

中学三年生は、そんな話に感心しない。

その日のホームルームの時間、担任の先生はまたも受験の話をした。

「もうすぐ入試だ。準備はできていると思うが、ここで気を引き締めなければいけない。
先日、歩いていると、高い木に男の子が登っていた。見ている人は危ない危ないと騒いだが、先生は、だいじょうぶだと思った。その子が低いところに降りてきて、人々は、もう安心と言ったが、先生は、イヤこれからが危ないのだと言った。案の定、その子は木から落ちた。何事も安心して気が緩んだときが危ない」

教室には非常に気まずい空気が漂った。

兼好法師の、人間性に対する鋭い洞察にはさして感銘を受けなかったが、先生が身をもって示してくださった「人をなめてはならぬ」という教訓は身にしみたのであった。