若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「思い出のグリーングラス」5

1番を終わろうとしたところで私の頭に黒雲のように疑念が沸き起こった。
さっきの、サウンドチェックのときのYさんの、あのもたつきぶり、ずれ方、はずれ方、乱れ方は一体なんだったのか。
あれは、私を欺くための一世一代の大芝居だったのか。

本番でも大荒れに荒れるぞと、私に過度の緊張を強い、指を引きつらせ弾きそこなわせようという、陽動作戦だったのか。

Yさんがヤマハに来て4年、何度もいっしょにステージに立ったが、今回のようにスムーズに1番が終わったことはない。

Yさんのこれまで最悪のステージは何かと聞かれても、過ぎ去った数々の悪夢が走馬灯のように駆け巡り、いずれあやめかかきつばた、いのしかちょうにあかよろしで、大いに悩むところであるが、三本の指に入るのが「小さな悪魔」であることに異論はあるまい。

このときYさんは、大いに自信があったものか、奥さんと妹さんを招いていて、お二人の面前で盛大にこけたのであった。
最初の一声、二小節歌ったところで歌詞が飛んでしまったのだ。
三小節目から最後までずーっと無言の行という、Yさんにとって、針のムシロ的ステージであったと言えるが、曲が終わって一番ほっとしたのは、もちろん奥さんと妹さんをはじめとする客の方だ。

このとき私がギターで、ややや君がベース、いっちーがドラムといういつものメンバーだったが、いつになく三人の息が合って演奏しやすいなと思ったら、Yさんが歌っていなかったのだ。
こういうときでも、尊師は批判がましいことは言われない。
「ま、よかったんじゃないでしょうか」

尊師は「ほめる人」である。
パターンは二つ。
1.ほめて育てる。
2.あきらめてほめる。

もちろん私が「1」で、Yさんは「2」だ。
と思います。

そのYさんが1番を無難に終えて2番に入ろうとしたとき、やおらギターをおいて、短冊に筆で何か書いて私に渡した。

「思い出のグリーングラス」歌いきてここでこけるが我がさだめぞと
辞世の句だ。

返歌
あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながいことひっぱってごめんね

破調の中にも万葉の息づかいを感じとっていただければ望外の喜びである。

互いに目と目を見交わす。
Yさんの目にはうっすらと光るものが。
玉砕覚悟だ。
靖国であいましょう!」
Yさんはついに2番を歌いだす。

サア!皆様、お待たせいたしました!