若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

せみ

8月半ばを過ぎると、我が家のケヤキでなきまくっていたせみが突如いなくなる。
我が家ばかりでなく、ご近所でなきまくっていたせみがすべてきれいさっぱりいなくなる。

「みーんみーん」あるいは「しゃーんしゃーん」「じーじー」、あれだけないていたせみたちが一斉にいなくなる。
引っ越したわけではなく死んだのであろう。
気の毒とか哀れとかいう気はしない。
静かである。

かわりに、つくつくほうしがさびしげになく。
と思うと、裏の空き地で虫がなきだす。

平均気温を感じるのかなにかしらんが、立派なもんだ。
不思議である。

しかし、彼らから見ると、人間は実に鈍感な、何もわかってない生き物だろう。
あれでよく生きていけるな、と不思議に思っているであろう。

人間は無季的生物といえるのではないだろうか。
そうではなく私も、気温や日照時間に左右されているのだろうか。
どうもそういう自覚はない。

他の動物や植物が季節に従って生きているのを見て、間接的に季節を感じているだけのように思う。

温室促成栽培品種という感じだ。
毎年せみがいなくなると、取り残されたようなさびしさを感じる。
彼らは季節に従い、時の流れに自然に乗って、現れては消えていく。
それをボーっと見ているだけの私は間抜けな感じだ。

私もせみと共に消え去るのはどうか。
そして来年せみと共に現れる。

もう少しくらい大事にしてもらえそうな予感がする。