若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

クレーの絵

銀行で雑誌を見ていたら、クレーの絵が出ていた。

クレーの絵を見ると、高校のときの英語のM先生を思い出す。
年配の先生が多い中では若手といえた。
非常に細くて眼鏡をかけた先生は、知性と強い精神力を感じさせた。
親しみやすいタイプではなかったが、好感の持てる先生だった。

先生は、卒業後すぐ私たちの学校に赴任したそうだ。
着任早々、生徒がシェイクスピアの『マクベス』の原書を持って質問に来たので、大変なところへ来たものだと思ったが、以後そんな生徒はいないといわれた。

「プロ」という感じの教え方だった。
私が現在曲がりなりにも英文の読み書きができ、英語を聞いたり話したりするのに不自由を感じないですむのは、このときの先生の教育の賜物であると感謝できたらどんなにいいでしょう。
できません。

先生は、「共産党」といううわさだった。
私は美術部だったが、美術の若い先生が、「M先生にいつもデモに行きましょうと誘われるので困る」と言っていた。

先生は紳士的な人だった。
教室がざわめいていると、「ボーイズアンドガールズ」と静かに呼びかけた。
ある日、何度「ボーイズアンドガールズ」と呼びかけても静かにならなかった。
先生は、「あほらし」と言って、「おーい!きみら!」と言った。

秋の文化祭の前だった。
先生の担任のクラスが、仮装行列に「007」をやると言っているといわれた。
「『007』ですよ!そんなもんやって何の意味があるんですか!なんの批判にも風刺にもならないじゃないですか!」

その年、先生は「007」の仮装で、どういうわけか海水パンツ一枚になってやせた裸体をさらし、大きな車に乗って運動場を一周した。
何の意味があるのかわからなかったが、結構楽しそうだった。

私はクレーの絵が好きだった。
ある日廊下で画集を見ていると、通りかかった先生が画集をのぞきこんだ。

「クレーか」と先生は言った。
知的な意志の強そうな目で私を見て、「クレーの絵なんか、人生と何の関係があるんや」と問いかけた。

唐突な問いに私はぽかんとした。
ぽかんとした私を見て、先生は何も言わず去っていった。

先生のその問いに答えるべく、クレーの絵を見続けるばかりでなく、広く芸術一般と人生について思索を深めることをしなかったので、今でもそういう質問をされたらぽかんとしているほかないのがさびしい。