朝日新聞で立松和平さんが紹介していたCDつきの本だ。
立松さんは言う。
谷川俊太郎の詩に息子の賢作が曲をつけ、山本容子が絵を描いたこの本を眺めていると、「目と耳にたゆたうのは谷川俊太郎の言葉である」。
「たゆたう」というのは、私たち文学者以外の方にはなじみがないだろう。
「エチゼンクラゲ」を思い浮かべてもらえばいい。谷川さんの言葉がエチゼンクラゲのように漂うという意味だ。
その雰囲気に浸った立松さんは、「いつもの部屋なのになんと贅沢な時間を送っているのだろうか」と思う。どこかで見た文章だ。たしか通信販売のカタログだ。
エチゼンクラゲが部屋に漂うのがなぜ贅沢かと思う人もいるだろうが、怪奇モノのファンには贅沢な時間と言えるだろう。
「日々走り回り頭をフル回転させて忙しい」立松さんは、「私に必要なのはこんな時間だ」と思う。さて、頭フル回転で書いた文章とは。
「とっておきのウイスキーの栓を開ける。芳醇な香りを口と喉で楽しみながら私は再びコラボレーションの世界に入っていく」
これも見たことあるなー。日本生命生涯安心プラン「大樹」のCMだ。
フル回転でこれかいな。半回転か空回りの間違いではないか。
この人は、適当な言葉を張り合わせてもっともらしい文章を作るのが得意のようだ。私のライバルだ。
谷川さんが自作を朗読している。
「思い出すわ/悲しみの理由は/いつもいつも愛だったって」
谷川さんは、小学校の国語の教科書用の詩を作る人だと思っていたが、少子高齢化に備えて演歌も始めたようだ。
八代亜紀じゃなかった谷川俊太郎さんが、眉をしかめ身をくねらせてこの詩を朗読している姿を想像すると、他人の私でさえ恥ずかしくなるのだから、家族の方はなおさらだろう。
私も自作の歌を歌うことがあるが、家内や娘達は非常に恥ずかしがっている。娘達はそのことを友達には内緒にしているほどだ。当然だと思う。
私だって、父が自作の歌を歌ったりしたら恥ずかしい。
立松さんは、この本の世界は争いがなく安らかで、「みんな家族みたいだ」と書いている。家庭内暴力とか子供の虐待とかはCM作家には無縁だ。
「谷川俊太郎の朗読を聞いていると、この場がうまくいっているのはお父さんがしっかり存在しているからだと気づいた」
「思い出すわ/悲しみの理由は/いつも愛だったって」
これ、しっかりしたお父さんか?