「土下座外交」に使うくらいで、親しみのあるようなないような言葉だ。
「土下座」とは何か。
土の上で平伏してお願いしたり謝ったりすることかな。今は身分制社会ではないことになっているから、「土下座」と言うとたいそう屈辱的な響きがあるが、江戸時代ではふつうのマナーだったのだろう。
黄門様に土下座する農民を見ても、「そこまでしなくても!」とは思わない。
昭和十年代に、長野県の村に入会権の調査に行った学者が、村人が通りかかった地主に土下座するのを見て驚いている。
村人にってはふつうのあいさつだったのだろう。
畳の上で平伏するのは土下座ではない。
じゅうたんの上では土下座になる。
と思う。
ある作家が大商社を舞台にした小説の中で、社長から今期で辞めろといわれた専務が社長室のじゅうたんに土下座して、もう一期やらせてくださいと頼む場面を書いた。書評で、一流企業の専務ともあろう者が土下座などするかとたたかれたが、実話だそうだ。
仕事である印刷会社に行った。
かなり大きな会社だった。
事務所で担当者と話していると、事務所にいた十数人の人が急に席を立って出て行った。いったいなんだろうかと、窓越しに見ていると、その人たちは玄関の両側に整列した。
重要人物が到着するようだ。
車が入ってきた。
出てきたのは作業服を着た若者であった。
後で聞くと、この会社の最重要得意先である松下電器の社員だった。
「土下座」とははっきり一線を画しているというべきか、「土下座スレスレ」というべきか。
私の子供の頃の思い出の一つに、「平伏外交」がある。
母と親類に行ったり、我が家に訪問客があると、母と相手の人の間で繰り広げられる平伏合戦だ。
当時は女性の「よそいき」は和服だった。
我が家に来た和服のおばさんが、もごもごと聞き取りにくいことを言いながら畳の上でがばと平伏する。
それに対して母も聞き取りにくいことを言いながら平伏する。
何を言っているのか必死に聞きとろうとしたが、「ごぶさた」とか「こちらこそ」とかいう言葉が断片的に聞こえるだけだった。
一方が頭を上げるともう一方が下げているのでまた下げて、今まで下げていた方があげると相手が下げているのでまた下げる。
いつ終わるねん!?とふすまの陰から見ていて心配になるのであるが、そのうち両者の呼吸が合って終わるのが不思議であった。