若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

リッチマン

8月になると、高校の美術部の合宿を思い出す。

毎年8月のはじめに、二泊三日で関西の漁港に行った。
我が家は、旅行をする家ではなかったので、よけい印象に残っているのだろう。

夏休みに入るとすぐ、学校でキャンバスを作る。
キャンバスといってもベニヤ板だ。
ベニヤ板をのこぎりで三分の二くらいに切って、周囲に補強材を打って、下塗りすれば出来上がりだ。
十枚一組にして縄でくくって、近くの日本通運のトラックに取りに来てもらった。

一年生のときの合宿は、岡山県の日生というところだった。
忘れられないのは、三年生のMさんが下級生十数名に氷をおごってくれたことだ。
一杯三十円だったと思うが、当時の私はMさんという人はなんて金持ちなのだろうかと感心した。
後でMさんが大きな病院の院長の息子だということを知って、なるほどと納得した。

Mさんは私と同じ中学の出身だった。
Mさんが、中学の生徒会雑誌に「ユーモア学園小説」を書いたのをおぼえている。
中身は忘れてしまったが、狸に似た先生が登場して、名前が「輪田貫出太造」ということだけおぼえている。私は、このおしゃれなネーミングに非常に感心したのであった。

私が初めて会ったリッチマンは「奥田のおじさん」だ。
中学一年生のとき、学校の帰りに祖父が入院している病院に見舞いに行った。

知らないおじいさんが見舞いに来ていた。
和服であった。
どういう人か紹介されたのだろうが、中学一年生にわかるはずがない。

そのおじいさんといっしょに帰ることになった。
病院の近くの駅で、おじいさんは私にどこまで帰るのか聞いた。切符を買ってやると言った。
ところがおじいさんは一枚しか切符を買わなかった。私が自分の分を買おうとすると、買わなくていいと言った。
定期でも持っているのかと思って、改札口を通るときに見たら、おじいさんが出したのは「株主優待券」であった。

ついた駅で別れるとき、おじいさんは私に五百円くれた。
驚くべき大金であった。

帰って母に言うと、「奥田のおじさんやろ」と言った。

Mさんとも奥田のおじさんとも、その後なんの交渉もないのであるが、氷一杯と五百円の威力は恐ろしいもので、いまだに覚えているのである。