若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

アイスクリーム

子供のころ、デパートの大食堂でざるそばのあとアイスクリームを食べるのが最高の幸せだった。
金属の器に丸いアイスクリームとウエハースが乗っている。
私と同じように、子供たちは大食堂でアイスクリームを楽しんでいた。

いつごろからか、不思議なものを食べる子に気づいた。
ソフトクリームであった。
はじめ何かわからなかった。
何かわからないのに、おいしそうだ!と思った。
母がなかなか食べさせてくれなかった。

はじめてソフトクリームを食べた時のことは覚えていない。

はじめて「三色アイスクリーム」を食べた時のことは覚えている。
幼稚園の運動会だ。
女子大の付属幼稚園だったので、運動会は大学といっしょにやった。
と思うがはっきりしない。
お姉さんたちがとても変な格好をして運動場を歩いていた。
母が、「かそうぎょうれつ」だと言った。
なんだそれは?と思った。

模擬店が出て色々食べ物を売っていた。
三色アイスを食べた。
母はふだんそういうややこしいものは食べさせてくれないのであるが、友達のお母さんが買ったので仕方なく私にも買ってくれたのだ。
細かいところまで覚えているもんだ。

白とピンクとチョコレートの色まで覚えているから、よほど感激したのだろう。
こんなにおいしいものはないと思った。

母はぜんざいも食べさせてくれた。
母にとっては三色アイスより安心して食べさせられるものだったはずだが、これが異常に甘かった。
母に言うと、自分で食べて、これは「サッカリン」だと言った。
なんだそれは?と思った。
砂糖が高い時代の人口甘味料である。

そのころとなりのお姉さんが結核で寝込んでいた。
結核は恐ろしい病気だった。

ある日、着物姿のお姉さんが家の前に立っていた。
お姉さんの家の板塀に落書きがしてあった。
お姉さんは私に、「鹿之助ちゃんはこんな悪いことしないね」と言った。
記憶にあるお姉さんはこれだけだ。

冬にお姉さんは「アイスクリームが食べたい」と言った。
近所のおじさんが大阪中探し回って、やっと阪急百貨店で見つけてお姉さんに食べさせた。

母から、お姉さんがアイスクリームを食べてから死んだという話を聞いた時、少しほっとした。

お姉さんを乗せる霊柩車は、自動車ではなく人がひいて行った。
黒く塗った荷車のような霊柩車の後をついて小さな焼き場まで行った。