著者はイギリスの大学で日本の教育について教えていた人で、三人の息子がイギリスの学校で学んだ。
日英両国の教育が違うのは世の中の成り立ちが違うからだということがわかって楽しい。
著者の息子が通う学校で、教科担当教師と親の面談があった。
講堂に各教科の先生が机を並べていて、親は話をしたい先生の机の前に並ぶ。
英語の先生の前が一番大勢並ぶ。
少ないのは聖書の先生だったそうだ。
日本なら英語の先生の前は行列だろうし、国語の先生の前は少なそうだ。
イギリスと同じといえば同じ、違うといえば違う。
英語と国語が合体しているのがずるい。
イギリスの学校はよく読ませよく書かせる。
「宿題を忘れたとき先生に謝罪する手紙を書きなさい」
ウソでもいいからもっともらしい理由をたくさん書くよう指導される。
ウソかもしれないが、その「事実」が説得力を持つのだろう。
日本ではやらないほうがいい。
言い訳するな!
ウソでもいいからしおらしく神妙な反省の気持ちと、二度と宿題を忘れないという決意を書いたほうがいい。
ウソかもしれないがその「気持ち」が説得力を持つ。
提出するとき先生に対して深々と頭を下げればなおよろしい。
頭の下げ方を見ると、エレベーター事故のシンドラー社の人は日本のことをかなり研究していると思う。
イギリスの親は子供の成績についてこだわりなく話す。
著者の見解では、イギリス人にとって子供というのはいずれ独立していくもので、自分とは関係ない存在だから、子供の成績は当たりさわりのない話題だということだ。
「今日はいい天気ですね」と「うちの子は数学が3で社会は4です。おたくは?」が同じような話だというのだ。
そこまでいかないと、「独立した人間」がわかったことにならないのだろう。
イギリスでは16歳くらいで「中等教育修了認定試験」を受ける。
大変成績の良かった少年が将来の希望を聞かれて、「オックスフォードかケンブリッジでギリシャ語かラテン語を勉強して、シティ(ロンドンの金融街)で働きたい」と答えている。
イギリスエリートの典型的コースだそうだ。
日本にはオックスフォードやケンブリッジやギリシャ語やラテン語に当たるものはないということがわかる。
日本でこうした英国エリートと対抗できるのは、私のように和漢の古典の素養のあるものだと言える人がうらやましい。