若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

同窓会

昨日は高校の学年同窓会。

10年ぶりだが、皆あまり変わってない。
10年前、変わり果てた姿に驚いたが、50歳から60歳はあまり変化がない。
何人か死んだくらいだ。
死ぬのが一番激しい変化だとも言えるが、本人が目の前にいないので実感できない。

まず、亡くなった人達のために黙祷。
これがまた長い。
いつまでやるのじゃ。
司会者が「黙祷!」と言ったままどこかに行ったんじゃないかと薄目を開けてみたら、どこにも行かず黙祷の真っ最中であった。

前回と比べて先生の姿が少ない。
70代半ばの3人だけである。
そうか、この先生達は、当時30を過ぎたばかりの、わが校ではバリバリの若手教師だったのだ。

はじめにあいさつしてもらえばいいのに、時間がたってからだったので、せっかくの先生の話も騒がしくて聞き取りにくい。
二番目に立った英語のI先生が、話の途中で、
「おい、騒がしいぞ、授業中といっしょやないか」

昨日一番楽しみだったのは、卒業以来初めてA君に会えることだった。
家が近くで、幼稚園、小学校、中学校、高校がいっしょだった。
理科系の人で、中学からアマチュア無線をはじめ、大学も「通信何とか科」で、電電公社に就職という電波まみれの人生を送っている。

健康優良児的体型だったから、さぞやでっぷり太って頭は禿げ上がっているにちがいないと楽しく想像していた。

会場で、「若草!」と呼びかけられて振り向くと、立派な紳士である。
誰じゃ、と思ったらA君だ。
太りもせず禿げ上がりもせず、私と張り合う一見ナイスミドル実は還暦、とはお若い!的風貌であったのはがっかりするようなうれしいような複雑な気持ちであった。

そこにデジカメを持ったB君登場。
三人は、歩いて一、二分の所に住んでいた。
家を結ぶと二等辺三角形になる。
私達三人の秀才を生んだということで、「ゴールデントライアングル」と呼ばれている。

美術部のD君を見つけた。
去年の秋、美術の先生の米寿の会で二十年ぶりに会ったとき、「鹿せんべいツイスト」を聞かせたくて、いらないと言うのを無理やり住所を聞いて送ったのに、その後何も言ってこなかった。

「おい、CD着いたか」
「着いたよ」
「つ、着いた?どうやった?」
「何が?」
「何がて曲やがな」
「アレって、どうやって聞くんや?」

若いころから音楽とは全く無縁の生活だそうです。