若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

再会

佐々木先生の会では、珍しい人に会えるのではないかと期待していた。

二年上の女性Aさんは、卒業以来だ。
一年生のときの三年生の女性というと、「大人の女性」という感じで、気後れしたものだが、Aさんは、目立たない地味な人で、神宮皇學館に入ったことは覚えているが、顔は覚えていなかった。

四十数年ぶりのAさんを見て、こんなに明るい人だったのか、と意外に思った。
息子二人は独立していると言うAさんが、明るく、「主人は、私が40のときに亡くなったの」と言ったので驚いた。

言葉に詰まった私を見て、Aさんはいたずらっぽく笑った。

「苦労話、聞かせよか?長いよっ!」

にっこり首を傾げてこう言えるようになるまでのAさんの年月を思って、しみじみしました。

何人かの先輩から声をかけられた。

「若草、今何をしてるんや」

そのたびに、横から、元天才少年芸大卒現国立大学教授のS君が口をはさむ。

「こいつの話、聞かんほうがよろしいよ。年金もらって、料理教室、ギター教室、油絵教室、乗馬クラブ、好きなことしまくってるんです。気楽な身分で、腹立つから、聞かんほうがよろしい」

何を言うか。

「私は、四十数年、馬車馬のように働いて、やっと好きなことできるようになったんです。こいつこそ、芸代卒業以来、国立大学で給料もらって好きなことし続けてるんです。生まれながらの年金生活者みたいなもんです」

S君と私の、いつものパターンのののしりあいである。

二年上のBさんは、いかにもやり手のビジネスマンと言う風貌だが、見かけ通り、有能な経営者だ。
Bさんとは、20年ほど前、金融機関主催の講演会で偶然出会った。
その後も何度か講演会でいっしょになったし、関連のある業種だったので、私の会社に来られたこともある。

そのBさんが、「若草君、キミはどんな仕事してるの?」と言ったのには驚いた。
会社に来てもらったときの話とかしたが、「そ、そうやったかなあ?」と笑っていた。
よほど金儲けに忙しいようだ。

講演会で初めて会ったとき、美術部時代の話をしたことがある。
Bさんが、大阪市の中央公会堂を描いた絵が、鮮明に記憶に残っていたのだ。
当時の美術部の中では異質の、穏健な写実的画風だった。

Bさんは、覚えていないと言った。
笑って、全く取り合わなかった。
絵は、青春の一時の気の迷いと言う感じだった。